Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 3rd Book> 82年生まれ、キム・ジヨン

なんだか思ったよりハイペースで更新し続けていて自分でもびっくりしています。

 

「82年生まれ、キム・ジヨン」(筑摩書房

 著:チョ・ナムジュ 訳:斎藤 真理子

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https://www.chikumashobo.co.jp/special/kimjiyoung/


またもフェミニズム系の本となってしまいました。

もちろんそれ以外も読みますが、最近のマイブームのようです。

 

さて、先月でしたでしょうか、最新の男女平等ランキングが発表されていましたね。

この本を読んでの感想は「韓国、大変だな。日本よりひでぇな」でした。

が、最新の結果では、その韓国より日本のほうが下位だったようです。。。

 

物語の主人公、は82年生まれの女性キム・ジヨン氏。

(訳者の配慮なのか、韓国語の原本がどうであったか、韓国語でそのような使われ方を

するのが主流なのか否かはわかりませんが、作中では男女問わず、名の後に「氏」が

ついていました。日本語で「氏」は男性を彷彿させますが、いずれにせよ粋な訳

だと思います。)

育児に奮闘する2015年秋のある日から急に、彼女の身近な女性に中身が取って代わる

精神疾患のような現象に彼女は陥ります。

その原因を突き止めるべく、彼女の生まれてからの足跡を追った伝記が始まります。

彼女だけではなく、彼女の家族のバックグラウンドも、社会背景も実にわかりやすく

描かれていました。

女性であるからこそ感じた恐怖感や、人生における選択への障害や迷いなどが、

まるでキム・ジヨン氏が実在する人であるかのように真実味をおびて描かれていた。

 

韓国と日本は共有する文化や社会背景が少し似ているのでしょうか。

異なる慣習や程度の差は多少はあれど、共感できる部分は数多。

家父長制は本書で描かれていたほどではないけれど、日本の家庭にも、私たちの中にも

根強く生きていますよね。

 

幼稚園の頃、制服を着させられ座る度に言われた言葉に未だに反抗心があるのかしら。

私は基本的にはパンツスタイルです。

 「女の子でスカートなんだから足を閉じなさい。」

これはマナーの問題かもしれないけれども。

でも、私は椅子の上でも胡坐をかくのが好きです。

昔からパンツスタイルが好き。

だけど、この繰り返し言われた言葉を未だに覚えているからかもしれない、

ということも否定はできません。

 

小学生の高学年から第二次性徴期に入り、乳房が目立つようになりました。

何の下着もつける前で、体育の時間に走っていた私を、男の子たちが陰で笑っていて

傷ついたことを覚えています。

それは次第により目立つようになり、中学生のとある日、家へ電話がかかりました。

「かなえちゃん、今日は赤い服だったよね。胸が大きいね。何カップあるの?」

確かに赤い服を着ていました。確かに周りの子よりも比較的大きかったかもしれない。

今なら「何カップだと思う?Zカップなんだ~」とでもふざけてやりますが、

ティーンエイジャーほやほやの私は心臓が止まりそうでした。

どこで誰が見ていたの。何で赤い服って知ってるの。なんで家の電話番号がわかるの。

怖くて親にも相談できなかった気がします。初めての他人との性体験です。

 

その数か月後には、塾の行きしに大人の男の人から声をかけられました。

何とか逃げ出し塾へ到着するなり、先生へ報告し、騒ぎとなりました。

母からは最初は心配もされましたが、「騒ぎすぎよ、恥ずかしい」と最終的には

冗談交じりで叱られもしました。

胸の発育自体が自分でも未知のことで、その大小なんてわかるはずもなく、

気にもしていなかったのに、大人の男の人から声をかけられたわけです。

叱られるのは想定外でした。

それでも実は誰にも本当のことは言えなかった。恥ずかしくて。

大人たちへは、「取材させてほしい。ついてきてほしい。」と言われたと伝えた。

本当は「取材をさせてほしい。胸を触りたい。」だった。

何故、私が恥ずかしいという気持ちを抱いたのかは未だにわかりません。

何故、騒ぎすぎと言われて、それを甘受したのかも、わかりません。

でもその時は、それが当然すぎて疑問にも思いませんでした。

 

高校の修学旅行では冬の沖縄へ行きました。

ビーチ沿いだったからか、親しい友人たちとムダ毛処理の話になりました。

いっぱしにムダ毛も生えてきて、気になるお年頃です。

話を聞いていた男性教員が「女性はそういうの(ムダ毛処理)あるから大変だな」と

言いました。

私は「男性だってすればいいんじゃないですか?女子もする必要はないし」と返すと

「たしかにな。一理あるな。その通りだ」と感慨深そうに頷いていました。

何とはなしに口から出た言葉でしたが、これが私の中のフェミニズムの芽生えだと

自認しています。

 

女性の一人っ子であるからか、あまり自分を女性として意識することなく育ち、

それは家庭内に留まらず、学校や塾などのコミュニティでもそうであった気がします。

教育やキャリアで家族から求められるものも、特に「女だから」というものでは

なかったと思います。

良くも悪くも、自分の「女性性」というものには疎くなり、それがお年頃になるにつれ

コンプレックスにもなっていた気がします。

 

悲しいかな、社会人となってから、やはり「ガラスの天井」は見えました。

元からキャリア志向ではないので構わないのですが、自分の女性性の認識が甘い分、

自分を女性として見ている周囲に戸惑ってしまったというか。

「女の子だからね。ガツガツ営業はしないのね。」
「ライフプランもあるし、女性だと海外行くなら早めに行きたいでしょう。」

女の子だから数字を取らなくても内助の功的サポート業務が適任だし、女性だから

仮に既婚、子持ちとなれば海外駐在のチャンスは巡ってこなくなるだろう。

そもそも結婚をし、子を生すことが前提の「女性らしいキャリア」設定の意味合いが、

言外に含まれているわけです。

そのようなコメントを男性女性問わず上司や先輩、同僚からもらう度に、

くさくさしつつも、そのまま甘受せざるを得ませんでした。

くさくさしたのは、女性であることによる期待値の低さ、それによって得られる

選択権が限られている可能性がちらついていること。

それに伴いむしろ「女性らしく」あることを期待されていること。

そしてそれが周囲にも自分自身にも無意識的な当然性としてある事実。

甘受したのは、“異動の少ない”環境で、“野心の低い”仕事をしていても、給金は

大差ないのだからむしろラッキーだ、という想定内の棚から牡丹餅感。

そしてそれを自らへ言い聞かせること。

これらは私が女性であるからこそのわだかまりですが、男性としても、家庭に入り

キャリアを追わない選択肢は、今もって社会的に存在し得ないような刷り込みを

無意識的に受けているように想像されます。

知らず知らずのうちに、端から選択肢が排除されているのです。

少しずつ増えてきている兆しも感じていますが、まだまだこれからかもしれません。

男性女性、LGBTQその他いかなるジェンダーが、どのような選択をしても

それが当然と認められる世の中となることを願ってやみません。

 

私が海外赴任の話を受けた際も、下駄を履かされたのだろうと即座に思いました。

会社の真意は知りません。

海外で働きたい、といった漠然とした夢が、会社という最強のバックアップの元

叶ったのですから、文句はありません。

が、女性だから下駄を履かされたと、瞬時に思い至った自分に嫌気もさしましたし、

社会や環境の自分への影響力にもハッとさせられました。


接待の席などでも、客先の男性の近くに座るように指示されたこともありました。

利用され得る女性性を私が持ち得ていたことにも、半分は嬉しく驚きましたが、

それを利用される筋合いはないとムッとしもしました。

セクハラとは認識していません。

そして、そういう席では、「実は」論が論じられるのです。

「実は女性のほうが優秀だよね」って。

「実は」ってなんだよ。

 女性は毎月、苦痛や不便さがありながらも、それを声を大にして訴えることが

できずに働いているのに、「実は」ってなんだよ。

(恥ずかしがる必要はないと思っているので、私はなるべく言うようにしています)

仕事は男性に与えられた役割で、だから男性の方が優れているという定説が未だに

あるのかしら。

実は優秀と言われても、海外駐在の適正は結果として、男性に軍配が上がるもの。

生物学的、宗教やその他により女性が勤務しづらい国があるのは事実だけれど。

でも、セクハラとは認識していません。

遅いとは思いますが、まだ社会認識やシステムが整いきっていないのですから。

過渡期ですから、摩擦はあって当然でしょう。

その摩擦が代価となって、こうして声をあげていくことで、それが整う一助に

なればと思ってはいますが。

 

かく言う私も、フェミニズム自体に葛藤ています。

だって、下駄履かしてくれたり、営業ガツガツしなくてもいい「棚ぼた」が

なくなるのはちょっと惜しいし。

それに、やっぱり女性としての「モテ」という基準が自分の中に浸透しすぎて、

その「モテ」が表わす「女性らしさ」に焦がれて追い求めてしまうこともあります。

憧憬の念が絶えない一方、それを疎ましく感じるミソジニー的感情も持っています。

片思いでしょうかね。「モテ」とか「女性らしさ」への。

でも片思いの対象そのものが最近はよくわかりませんね。

それでいいのだと思っています。私の思う正しい道へ向かっている気がします。

 

海外赴任していると、毎日聞こえ目にする言葉に「駐妻」があります。

かつては私も憧れていた。

就職活動時に言われていた「女子の勝ち組」は「商社の一般職」

商社マンと結婚して駐妻になれるといういかにもあり得そうな未来です。

でも、知り合いに「駐妻」ができれば、必ずしも彼女たちが、世に言う「駐妻」の

イメージのような、働かずして楽しいキラキラ海外生活を送っているとも限りません。

時には私も羨ましくなるような、活動的な「駐妻」もいます。

でも同年代の「駐妻」は、私のことを羨ましがる人もいます。

お互い、それぞれの道を選択したのですから、今の道で幸せなはずではあるのですが、

どうしても隣の芝生が青いことは往々にしてありますね。

多少は増えつつあるのでしょうか、「駐夫」が当然視されるのを心待ちにしています。

(私個人的には、次は「駐妻」「駐パートナー?」も経験してみたいですが。笑)

 

キム・ジヨン氏の母親は、時代の割には先進的な考え方を持っていました。

彼女自身が、キム・ジヨン氏らを育て迷いながらも、当時の女性の生き様としては

ロールモデルのように見えました。立派なビジネスウーマンです。

キム・ジヨン氏の姉も、社会の規範というものへ妄信しない人でした。

そういう環境で育った彼女は産後うつを患いました。

産後うつは、きっと男性はならない病気なのでしょうね。

私は、結婚もしていなければ、妊娠も出産もしていないのでわかりません。

そんな状態の彼女に時々憑依する彼女の友人たちは、彼女自身も含め、周囲に、

社会に伝えたかったことはおおむね、ひとつだと思っています。

  

私は女性である前に、ひとりの人間であること。