Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 4th Book> これでもいいのだ

私は本は紙派です。アナログ人間なので。

紀伊国屋で発注予定がないと言われて、たまらずその場でアマゾンしました。

「これでもいいのだ」(中央公論新社

 著:ジェーン・スー

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https://www.chuko.co.jp/special/janesu/

 

私、彼女のファン。

書籍化されたものだけだけど、彼女の著書は大体読んだつもりです。

初めて読んだのは、2年くらい前かしら、「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」。

うわあああ、これ私だし、私の言いたいことだし、うわあああ、って感じの出会い。

なんと稚拙な表現でしょう。でも今思い出すとそんな感じです。

今度改めて読み返したときに読書感想文書ければな、と思います。

だって、昨年、マレーシアへの引っ越し荷物へ入れた数少ない本だったのですから。

 

さて、女子時代がまるで南北戦争時代かのように、オバサンとなったことを

堂々と宣言したりしていた彼女の本エッセイ短編集。

彼女のエッセイ、文章の何が好きって、彼女の経験や考えを読んでいるにも関わらず、

私も私自身の日常のふとしたことや、大事な人との時間を同時に思い返せること。

あと、彼女はたぶんとても理屈っぽいから、私が共感しやすい。

フェミニストのようなので、そこも共感の嵐でしたし。

執筆中であったあろう彼女を想像し、読みながら頭の中で話しかけている。笑

「正しさ」と「勘違い」への対応の線引きとか、迷うよね、考えちゃうよね。

いや店選びは私がしましょう、日本にいないのに食べログ有料会員だからね!

「これをするなら、これしかない」まさにそれ!私が感じていた日本の息苦しさ!

あーちょっとダメになったら諦めちゃうよねって私も先生に昔言われたわー。

初ボーナスで買った(幸いなことにまだ日の目を見ない)喪服、私も多分着られない。

などなどなどなど、それこそ女友達に話すような感覚で本に話しかけています。

著者と会話ができる本、文章なんでしょうね。それだけで楽しいし素敵ですよね。

タイでまだあんまり友達いないからさ、、、

本がお友達のことが多いのですが、本と会話までできるなんてお得!!とほくほく

しながら、やはり色々なところにアンテナを張っているんだなあ、頭がいいのだなあ、

と彼女に憧憬の念を抱きます。

「ありもの恨み」なんてサブタイトル、言葉選びも粋じゃないですか。

 

そんな彼女の本書籍を読んで頭に浮かんだ情景や、胸に秘めた想いを私も本日は

たらりたらりと、したためていきます。

 

女を鮭と鱒に例えたお話がありました。これもまたちょっとおつな感じで好き。

著者の友人二人が、それぞれ違う道を歩んでいたからこそ、互いの存在を活かし合えた

というような、そんなエピソード。

私には、とても仲の良かった幼馴染がいました。過去形です。今は。

だって、もう5年近く会えていない。連絡もほとんど取らなくなりました。

そう、大人だって傷ついている。

中学受験をした彼女と、地元の中学校へ通った私。

一度は路を分かちましたが、私たちが高校へ進学するあたりから、また交流が再開。

通う学校は違えど、週末などはしょっちゅう買い物へ行ったりしていた。

交換留学で米国へ発つ日は、空港まで私の母と送りに来てくれました。

帰国後も、受験勉強を予備校の自習室で一緒にしては、ランチやお茶、ディナーを

して駄弁る時間も欠かさなかった。毎日のように。

彼女は浪人の末、地方国立大学へ進学。医者の道を目指します。

私はそれが決まった時、既に都内の大学1年生で、彼女の健闘の結果が我が身のことの

ように嬉しかったのと同時に、彼女と頻繁に会えなくなることに、何とも寂しかった。

一度、道を分かち、せっかく合流して絆を深めたのに、またか。

それでも、なんだかんだ頻繁に会えたのは、帰省する度に彼女が時間を作ってくれて

いたからでしょう。

久々に会っても、昨日も会っていたかのような感覚で会話が始まり、昨日も確かに

会っていたのに、今日もスタバで何時間も居座ってしまう。

私たち、結婚できなさそうだね~。 仮に結婚式するなら申し訳ないけど家族席で!

そんなことを言い合って、よく笑っていたものです。

社会人になってからは、夏季休暇を使って、彼女を訪ねたりもしました。

一緒に周辺の県や観光地を回ったり、京都まで足を伸ばしたりして初めての旅行は

盛りだくさんだったなあ。

彼女が学生の間は、そうして頻繁に会っては、他愛の無い話で、酒が入ってなくても、

互いの家に着くまで、いつもアドレナリン大放出でした。

そんな彼女の大学卒業のお祝いに、福井へ二人で旅行へ行きました。

私の祖母がおり、いつも私が福井の食べ物がいかに美味いか彼女に聞かせていたため、

食いしん坊が過ぎる私たちは、彼女の達ての希望もあって、旅先に選んだのでした。

東尋坊や恐竜博物館などはもちろん回りましたが、奮発してお祝いに懐石料理を

食べたり、駅中の田舎蕎麦を立ち食いしたり、常に何か食べていました。

そんな私たちらしさダイジェスト版の旅が最後です、彼女とまともに話したのは。

研修医となった彼女が、身を粉にして必死に働いているのは想像に難くありません。

会える時に会えればいい、会えなくても陰から応援していよう。

寂しいながらも、彼女が友人である有難さでいっぱい。I was so proud of her.

一度地元のデパートのトイレでばったり出くわしましたが、互いに用事があり、

挨拶程度の言葉を交わしただけでした。

久々に会ったから、久々に会ったような挨拶だった。

けど、私はその雰囲気を信じたくないから、見て見ぬふりをしました。

それ以来、ふとした機会にいつも私からラインするくらいで、連絡もほとんど

取らなくなっていました。

マレーシアにいた私は昨年、お誕生日おめでとうラインを彼女に送りました。

すると、お礼とともに「今月結婚しました」とシンプルな報告が。

友達としては嬉しいこと、あれだけダメンズウォーカーだった彼女が、素敵な人に

出会ってたのだから。

数々の恋バナをして、「私なんて絶対に結婚したくないし、できないわ」と彼女自身も

私も認めていた、そんな彼女が結婚だなんて、すごい、よかった、素晴らしい!

そんな思いは一瞬で、自己中心的な私は、寂しさでいっぱいになります。

今まで付き合った彼氏の話はぜんぶ聞いてきたけどな。

どんな人かも、いつからどういう風に付き合ったかも、プロポーズがどんな感じ

だったのかも、何も知らないな。

事後報告か。結婚式、したのかな。家族席、座れなかったなあ。。。

福井で時間を共にして以降数年の間、私は彼女の死角にいたわけですが、

私はすぐにその死角からすんなり戻れると思っていたのです。

だって、いつも久々に会っても、昨日も会ってたかのようだったから。

彼女が忙しい間は疎遠でも、こうしたライフイベントはもちろん、余裕が出てきたら

一時は開いてしまった距離を、一気に取り戻せるものと思っていました、勝手に。

遠方に見えるのは彼女自身だと私は信じていたのですが、実はそれよりももっと

彼女は遠くにいて、その幻影を見ているだけだったと、そのとき気付いたのでした。

ストーカーチックに聞こえるかもしれませんが、あれだけ「結婚したくないし、

できない」彼女が、結婚するという決断に至るまでを、友達として隣で見ることが

叶わなかった寂しさと言ったら、正直数日は、一日の中で一番好きな食事も喉を

通りませんでした。

そうです。大人だって傷ついているのです。

(三十路ながら私はまだまだ自己分析が足りないそうです。だから大人というのは

おこがましいか?)

ひょっとしたら、彼女にはもう子供がいるのかもしれません。

切なさと寂しさが最高潮に達し、自己中心的な理由から、距離を置く決断をしたので

彼女の近況はわかりません。

でも、今のところは川に泳ぐ鱒の私が、鮭となって大海原へ出ているであろう彼女と、

また邂逅する日はあるのではないか、と本書から希望をもらえたのでした。

 

なんか本当はもっと色んなことが読んでいて思い浮かんだのですが、この幼馴染の

エピソードが想定以上に長くなってしまったので、柿ピーの話で締めくくりたい。

私には旅友がいます。

旅友と言いつつ、たまの贅沢ランチや、ちょっとだけご褒美ディナーなどを、

旅の計画やら、美術館特別展やらにかこつけて、毎月のようにしていた食いしん坊な

我々です。

そんな彼女は、旅行先に必ず柿ピーを持ってきます。

「食事は旅の醍醐味だけど、やっぱり時々飽きるでしょ。そんなときの柿ピー!」

確かに、バルト三国でおすそ分けしてもらった柿ピーは、最高に美味い柿ピーだった。

一瞬で口の中が日本で溢れた感じがした。

柿ピーに加えて、彼女の旅の常備食はビオフェルミン

常備薬ではないのです。常備食です。口寂しければビオフェルミン

あああ、タイにいる私が今、一番恋しい人は豪快にビオフェルミンをかみ砕く、

彼女かもしれません。