Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 6th Book> BUTTER

先週末はスリランカに行きました。

バンコクにもあの水と空気の綺麗さがあればいいのに。

「BUTTER」(新潮文庫 著:柚木麻子

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https://www.shinchosha.co.jp/book/335532/

 

社会派長編小説でしたが、エンターテイメントとしても非常に面白かったです。

なかなかページを繰るのを止められない作品は久々だったように感じます。

 

主人公である週刊誌記者の理佳が、美しくない、何より痩せていないのにも関わらず

男性たちを手玉に取って財産を奪い、首都圏連続殺人犯として嫌疑をかけられていた

梶井真奈子(カジマナ)を取材していくうちに、自分自身と身の回りに起きていく

変化を描いた物語でした。

カジマナの異様な魅力に翻弄されていく理佳。

そんなカジマナの語るバターの魅力と、食べ物への執着にも魅了されていきます。

 

カジマナ自身も、彼女に直接的に関わる人物も、間接的にしか関わらない人物も、

その描写がなんとも多角的にかつ精巧に描かれています。

心情と情景の描写がとても緻密。

現社会が孕む問題や大衆意識含め、各登場人物のそれに対する目線と個性が、彼らの

背景も含めて、一言一言に如実に現われているのです。

情景にしろ、人物描写にしろ、読んでいて惚れ惚れしました。

きっと理佳という人物が、私と似て繊細で、かつ穿ったものの見方をする人だから、

彼女の視線を通して語られる人物や物事が、目の前にあるかのように見えたのかも

しれない。

 

そして食べ物についての叙述が素晴らしい。

SNSに載ってる写真を見ても浮かばないような、味、香り、触感が、文字を追うだけで

ここまで浮かび上がるなんて、、、単純に感激しました。

ロブションなんて行ったことないけど。一回くらいは行きたいな。

カルトカールとパウンドケーキの違いもわからないし、セックスの後のバターラーメン

なんて考えたこともなかったし、グラタンもクリームシチューも同じソースからできる

なんて知らなかったし、本物の七面鳥の丸焼きも食べたことないけど。

食べたことのない食べてみたいものが大量に描かれていました。

とはいえ、私、そんなにバター好きではないのですが。

白米のお供にバター醤油はおそらくやらない。エシレバターでなんて余計にしない。

 食事は私にとってはエネルギー補給ではありません。もはや娯楽です。

12時に空腹を感じても、食べたい気分のものが周りに無ければ、14時か15時になっても

さ迷い歩きます。食べたいもの以外で空腹を満たすことはちょっとした屈辱です。

独身貴族だから、食にお金も惜しみません。少し高くても食べたいものを、

美味しそうなものを食べるのが私の流儀。

 

若くも美しくもない、しかも太っている女性が何人もの男性に結婚詐欺をはたらく。

それが世の男性の心情を不安定に、不快にし、スレンダーな理佳がカジマナの体型に

近づいていく過程を人々は非難する。

「痩せたんじゃない?」「ちょっと太った?」

久々に会った人から挨拶代わりに言われることがありますよね。

英語だったら「Did you gain a little?」とか、「You look thinner」とか?

None of your businessって返したくなるようなことを、挨拶代わりに日本語だと

平気で言い合うものですよね。

自分が太っていることを知っているから、私は体型について言われることはとても

嫌いです。だから、人についても極力言わないし、本人から求められても直接的な

言葉は絶対に選ばないようにしています。

以前も少し書きましたが、造形美への憧れと、自身の容姿についてのコンプレックスが

異様に大きいので、人からしたら冗談の一言でも、私は真に受けます。

カジマナが本心から放った言葉の一つに、以下のものがあります。

『(前略)他人の体型が変わっただけでよくもまあ、あれだけ心を乱せるわよね。どいつも、こいつも……。どれだけ他人が気になるのよ?他人の形がどんなふうか、他人がその欲望を開放しているかしていないか。そんなことで不安になったり優越感を持ったりするなんて、異常だわ。他人の形が、自分の内側で起きていることよりも、ずっとずっと気になって仕方がないっておかしいわよ』

フェミニストでありたい、と思っていながら、私は未だ世の中の作り出した「綺麗」や

「可愛い」「美人」に惑わされています。

いやね、他人の形なんて私もどうでもいいんですよ。

仲良しの子が15キロ太ろうが、会社の人がダイエットで華麗な変身を遂げようが、

クレーンで家から引っ張り出されないといけないくらい太っているとか、

少し歩いただけで倒れちゃうくらい痩せているとか、極端でなければ、別に彼らが

どんなに太っていようと痩せていようと、どうでもいいんです。

その人たちは「太っている人」でもなく、「痩せている人」でもなく、私の中では

友達であったり、会社の同僚であったり、よく行くカフェの店員であるからです。

だけど、これまでの人生で何が「美しい」かを刷り込まれている。

このダブルスタンダードに悩まされることは往々にしてあり、それが私自身、

気になって仕方がない「自分の内側」に影響することもよくあります。

挨拶代わりに人の体型について言えてしまう文化にどっぷり浸かって育ち、

女性としての「美しい」や「可愛い」の基準が無意識化で規定されており、

それが未だに当然視される世の中であると肌で感じる中で、私が周りにとって

どのように見えるかはよくわかっているつもりです。

カジマナはアンチフェミニストでしたが、この一言は何よりもフェミニズム

感じさせるものでした。

カジマナが、男だったら、若くなくても、イケメンでなくても、太っていても、

そのそれぞれの観点について、世の中から批判を受けるようなことはなかっただろう。

女性は「美しく」なければならない。

その美しさは、世に言う「美しい」でなければならない。

その世に言う「美しい」を持たない私は、見た目を自分の魅力の拠り所にはできないと

いうことが予め決まっているわけです。世の刷り込みによって。

この見た目だって、私の一部なのに。

生まれてから30年間、一日だって「普通体型」であったことも、「やせ型」であった

こともありませんでした。

その自分の体型にしろ、顔にしろ、容姿を愛する方法も学んだことはありません。

「美しい」も「可愛い」も基準が決まっているから。造形美はいつも正しい。

その価値観が私の奥深くまで染み込んでしまっているからこそ、自分の容姿を許す

方法を知りません。

許さないのに努力しないんですけどね、堂々巡りですかね。笑

太らない努力はしていますが、痩せる努力はできたことないんですよね。

だって、食べるの大好きだから。

美味しいものへの探求心と、造形美への憧憬の念。

二律背反する心象だと最近は思っています。

カジマナは違ったけど。自分が食べた、美味しいものがたっぷり詰まったお尻も

胸も彼女は愛しく思っていた。考えてみれば、お金のかかった贅沢な尻と胸だよな。

カジマナほどにはなれなくても、今の自分をそのまま受け入れるということは、

なかなか簡単ではなく、いい年して未だに私はそれに苦戦しています。

 

理佳含む登場人物の多くが、親子関係にわだかまりを感じていました。

カジマナの一家はもちろん歪んでいたけれど、そうでなくても、家族であるからこその

問題が各親子にありました。

私はサラリーマンの父親、主婦・パートの母親のもと、比較的恵まれた家庭で育ったと

思っています。裕福でもありませんが、貧乏でもない、平凡な家庭です。

だからこそ、今、自分が温室育ちの世間知らずだと思い知らされることもあります。

そんな平凡な家族でも、家庭内ではもちろん色々ありました。

何もない家庭なんてそんなに無いのでしょうけれど。

一人っ子だから、自分が大人にならないといけないことも多かった。

親からの期待やプレッシャーを一身に実感することは幸いなことにあまりありません

でしたが、3人という人数は均衡を保ち続けるのに、一定の緊張感を要すものだったと

今になって思います。

小中学生の友達グループでもそうですよね、3人はまとまりにくい。

この小説の中で出てきたような「問題」という問題はありませんでしたが、

家庭内で起きたひとつひとつの小さな事件は、良いものも悪いものも、今の私を

形成しています。

物心つくかつかぬか知らぬ間に身に付けていた均衡の取り方も。

一応、親元を離れて暮らして「自立」したわけですが、だからこそ、自分の育った

家庭環境の自分への影響力というものは、より一層感じています。

大人になったら、過去の話になるものだと思っていました。

自分の子供の頃の話は、別の誰かの話のように、大人になったら過去のもののように

感じると、子供の頃は思っていました。

思い出話って、ちょっと他人事みたいに感じることがあるでしょう?

そりゃあ、今のほうがお金もあるし、時間の使い方もわかって、できることも

増えたけれど、成長しても(していると願いたいですが)、別人にはなりませんね。

自分の家族や育った家庭環境って、自分が生きている限り、思い出話にはならないの

かもしれません。

親子関係って、良くも悪くも呪縛なんでしょうね。

 

この本、本当に感動したし面白かったから、書きたいこといっぱいあるかと

思ったんだけど、なんか私が書くより、読んでほしいんだよな、と思いました。

私が書きたいこととか、思ったことが書いてあるというか。

共感するのとは違うけれど、エンターテイメント性もあるのに、現代人として生きる

者たちの心の機微が余すところなく描かれていて、共感しなくても、すっと入ってくる

感じがするんですよ。

文章としては結構複雑なものもあったり、語彙も結構色々と使われているのに。

物事や、人の心の多面性や複雑性を、言語化するとこうなるんだな、とすっとする。

 

 

このブログを書いている間、最低10回は観たであろう、お気に入りの映画、

「You've Got Mail」をずっと流していたのですが。

先月、結構に長かった髪を、肩上まで切ったんですよね。

この映画の中のメグ・ライアンに憧れて。というのは後付けですが。

たまたま同じくらいの髪の長さになっただけです。

いつもシンプルでカジュアルながらもおしゃれで、何度観ても、こんな格好がしたい

と思うんだけど、彼女だから似合うんだよな~と。

だって、私、似たような髪の長さになっても、全然似合わないんだもん。笑

あれだな、顔の形と、あとは髪の量だな、、、

バンコクの硬水のおかげで、私の髪はちゃくちゃくと禿げていきます。。。

ふさふさボブには程遠いのでした。

そろそろ私もタートルネックの服が着たいな。