Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 14th Book> 舌を抜かれる女たち

きっとすごく外は暑いのだろうけど、(タイはいま夏だそうです)

太陽光の下ではしゃぎたくなります。こんなことを言える私は恵まれていますね。

 

「舌を抜かれる女たち」(晶文社

著:メアリー・ビアード 訳:宮崎 真紀

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https://www.shobunsha.co.jp/?p=5582

 

今回もフェミニズム関連の作品です。

 

古代ギリシア・ローマ時代を端に見る特に西欧でのミソジニーを、文芸作品や美術品を

通じて解説してくれている作品となっています。

そもそも古代ギリシア・ローマの歴史や神話に造詣が深くない私には、学術的に少し

レベルが高すぎるような本書でしたが、明らかに教養をつけろと言われているような

気もして身の引き締まる思いをさせられました。笑

日本では、よく美術館や博物館に行っていたのですが、そんな休日が恋しくも

なりました。

COVID-19の状況下では行けないところかもしれませんが、仮にそうではなかったと

しても、マレーシアもタイも、あまり多くの特別展含む美術展がない気がします。

私のリサーチ不足かな。

美術やその他文化芸術に詳しいわけでは全くないのですが、やはり恒常的にそういう

ものに触れる時間を作りたいものです。

今回はそういう想いもまた再興させるものでした。

「女は黙ってろ」「女は成功するには賢く(男の世界、基準で)立ち回れ」といった

構造が未だに西欧ですら根深く浸透している、それに対して、私たちは再考し、

声を上げていかなければならない、というメッセージのある本でした。

 

少し前に友人と話していて、「可愛い≒バカ」だという話になりました。

可愛げが無い私は、「可愛」くなりたい願望はありますが、それが「バカ」という

言葉を含むものであれば、望むものではありません。

男女問わず、私は知性溢れる人に惹かれます。(造形美以上に惹かれます。)

サピオセクシュアルなのかもしれない。自分が知性溢れるかは別として。

それでも、知性溢れる人と話して、楽しいと思える自分でいたいと思います。

だから、「可愛い」がそれと両立できないのであれば残念です。

両立できると思うけどね。「可愛い」の含蓄するものに驚かされました。

そして「可愛い」は性別で言えば女性に帰属しやすい言葉です。

可愛い女性は好かれます。

つまり、女性≒バカであることを期待されているということになってしまう。

 

オデュッセイア」で発言をして実の息子に下がるようにペネロペイア、

レイプを告発できないように舌を切られたピロメラ、アテナの神殿でポセイドンと

交わったために怪物にされ後にペルセウスから退治されてしまうメドゥーサ。

発言や出過ぎた(男性のような)行動は戒められ、阻止され、征伐される。

これが男性だったら?と考えてみると、絶対そんなことはないのです。

女性は「可愛い」枠に制限され、男性は「可愛い女性」を含む”支配”を許される。

それは、紀元前の神話等では、彼女たちの舌を切ることさえ含まれていました。

 

私自身は、未だに父親に「出世しろよ」と言われるくらいです。

昔から「勉強しろ」「いい会社に入れ」を言われて育ったので、そこに関して

女性だからという言い訳も理由もありませんでした。

威厳を持ちたいと思ったことは、それでもあまりありません。

尊厳は持っていたいし、相手にも求めるけれど、男性の象徴らしき権力や威厳は、

あまり持ちたいと思いません。

面倒でしょう?なぜ男性たちがそこまで権力に固執するのかわかりません。

駐在帰りのマネージャーレベルの人が時々ぽつぽつと辞めるので、当時仲の良かった

上司に尋ねると、

「海外では、自分の裁量がでかいからね。ビジネスで使えるお金の金額も違う。

個室や、自分だけのデスク、もしくは部屋がある。帰ってきて、課員と机を並べる

ギャップに慣れないんだろうね。俺でさえ部屋もらってたもんなあ。笑」

とのこと。

仕事へのスタンスの差かもしれないけれど、私なら、それだけの裁量も権力も肩書も

いりません。

自分の名前と肩書がドアに書いてある部屋もいらないし、私の口座に一定量かそれ以上

のお金が毎月入ってくるなら、仕事で使えるお金なんて、ゼロでいいのです。

でも、そういう「権力」にまつわるものを煩わしいと思うのも、ひょっとしたら、

既にこの今ある構造に洗脳されてしまった結果かもしれない、とも思うのです。

未だに「可愛い」女性や「モテ」を気にするのは、その構造からマインドシフトを

できないから。

私自身だけではなく、結局人々が、社会がそういう構造を持つ以上、それを打ち破って

いくのは大変な労力がいります。

 

今の東京都知事は、小池百合子さんですね。

彼女に対する私の個人的意見は置いておいて、いま日本国民、東京都民が(というか

地球人が)厳しい状況に置かれている中、政治家たちの手腕が問われていますね。

彼女が失政したら、こっぴどくたたかれるでしょうね。

本書でも、ヒラリー・クリントンのメール流出事件等を例にとって、女性が権力を持つ

のであれば、成功しか許されていないことを著者が述べていました。

安部首相の失政も同様に今は相当批判されているように見受けられますが、

もし彼が小池氏だったら、女性だったら、批判は今以上だったのではないか、と

確かに思うのです。

男性たちの専売特許だった「権力」を手にした女性が失敗したら、その「権力」を

持てない男性からはもちろん、方々から攻撃され、もう二度とチャンスは巡っては

こない、そんな気がするのです。

男性にとっての「権力」の重みと、女性にとっての「権力」の重みって違うんですよ。

同じ肩書、役職、給料でも、その重さが全く違う。

女性の場合は、失敗が本当に許されない。

その失敗は、個人的な尊厳が傷つくものになり得ます。

ひょっとしたら、肩書や役職が上位であればあるほど、他の女性の命運も担っている

ようにもなるかもしれない、悲しいかな、まだそういう時代です。

 

書いていてわかりました。

だからだ、私が「権力」なんてこれっぽっちも興味がないの。笑

重すぎる。

男性にとってはただのマウント取り合う指標のひとつでも、女性にとっては、それが

幾層にも重なっている希望であったり、期待であったり、恐怖であったりするのです。

であれば、男性が作った「可愛い」女性を目指して媚びを売る方が楽だからね。

それもうまくできないから、フラストレーションなのですが。笑

とある会社の役職持ち女性が、かつて言っていたと聞きます。

「私は女の嫉妬なんかよりも男の嫉妬のほうが怖いよ」と。

ただでさえ、たくさんの重石が既に乗せられた「権力」に、男性の嫉妬も加わるなんて

たまったものじゃありません。

男性が人間らしく生きていくのは簡単です。

彼らが古代から作ってきた社会構造ですから。

私たち女性が人間らしく生きていくのは、それを打ち破っていったうえで、更に

人間らしさ自体も模索していかないといけない。

すっっっっごく大変じゃない???

本書で学びも考察も深まった気がしますが、なんだか気も遠くなりました。

 

この間「North Country」という映画、放題だと「スタンドアップ」というらしいですが

をこのほぼロックダウン状況下で観ました。実話に基づいています。

シャリーズ・セロン演じるDV夫から逃れた二人の子持ちの妻が、それこそいかにも

男性的な職場である炭鉱に就職し、レイプの危機やその他数々の性的な嫌がらせを

受けて訴訟を起こすのですが、そのハラスメントの概念を当時(1980年代後半)初めて

世に認識付けた訴訟となったという話です。

その嫌がらせの内容のひどさもさることながら、泣き虫な女性として描かれている

彼女の芯の強さを、それらがまた引き立てていました。

そこまで強くないと、世の構造は、考え方は変えられないのか。

それも、世の価値観は、瞬時には変わりません。

時を経て、なだらかに変わっていくものです。

私にその強さがあるか?私にその忍耐があるのか?

フェミニズム作品に触れれば触れるほど、私の心も揺れ動きます。

 

明日からまた仕事です。在宅ですが。それでも仕事は嫌いだ。

外出できるようにならないと、私、発狂しちゃうよ!!

でも、経済の悪化が著しい中、荒廃したうら淋しい街を見るのもな。。。

地球に明るい未来が早く訪れますように。