Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 16th Book> 償いの雪が降る

飲食店が一定の距離を守っての店内飲食をできるようになりました。

在宅勤務を始めて1.5カ月近く経ち、最初はあれだけカフェや買い物に出かけたくて

手持無沙汰で、何より寂しかったのですが、今となっては結構お家で楽しい。

わたし、ちょっと成長した。 

 

「償いの雪が降る」(創元推理文庫

著:アレン・エスケンス 訳:務台 夏子

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http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488136086

 

この作品も大学時代の友人に勧められたものです。

躁鬱病で荒れにに荒れた母親と、自閉症の異父弟のジェレミーを持つジョーは、

大学で年長者の伝記を書く課題を課されます。

身近に年長者がいないジョーはとある介護施設を訪ね、少女暴行殺人で約三十年前に

有罪となった癌末期患者のカールと出会い、彼の伝記を書くことになります。

ジョー自身も家族に様々な問題を抱え、ベトナム戦争を切り抜けてきたカールもまた、

事件に留まらず自身に多くの隠された歴史を持つ人物です。

二人が交流を重ねるうちに、徐々に事件への疑いが濃くなり始めたジョーが真相を

追っていくことになる、スリラーサスペンス小説でした。

 

私個人的な感想としては、なぜジョーがカールの罪について疑いを持ち始めたのかの

描写や経緯がちょっとよくわからなかったです。

情が湧くには面会時間も回数も少ないし、自分の心の底に隠していた罪悪感や

思い出したくない過去を話し、カールの壮絶たる戦時中エピソードを聞いたからと

いって、「この人が暴行するはずがない!」となるか!?

ちょっと短絡的じゃない?と思ってしまいましたが。

描写しきれないフィーリングってやつなのかね?

つい先日、ヒプノセラピーを受けて、私はもう涙も鼻水も垂れ流して、カウンセリング

とセラピーを受けましたが、だからといって、一回しか会っていないそのセラピストを

信頼したわけではないし、別に関係性として何が生まれたわけでもなかったけれど。

まあ私がお金を払うビジネスの関係なので、ジョーとカールとはまた少し違うかも

しれないけれど、見ず知らずの赤の他人にだからこそ、自分の中の闇って

話しやすかったりしませんか。

見ず知らずの赤の他人(友人でも恋人でも同僚でも、そういう関係性に肩書きがない、

あったとしてもビジネスのドライな関係)だから話したのに、そこから何度も顔を

合わせたりして、それ以上の親密な関係性になるのは私は決まりが悪く感じてしまう。

カールの死期が近いという事実が、赤の他人から一気に何かしらの親密な関係性へと

促したのだろうか。

まあサスペンス小説に求めるものではないのかもしれないですね。笑

あ、でもサスペンス小説としては緊張感もあったし、ちゃんとスリラーだった。

続編もあるのだとか。今度読んでみてもいいかもしれない。

 

このCOVID-19下で、私は余命少なくなった(と個人的に感じている)若さを無駄に

している、バンコクでの海外駐在生活も、パートナー探しも、私の30歳が無駄に

なっている!!とつい先日まで嘆いていたのですが。

でもね、この本を読んでいて思い出したんです。母方の祖母の話。

日本で生まれ、満州国にしばらくいて、敗戦のせいで地元民やロシア人から命からがら

逃げ出し、九州までコレラの流行る船で帰国、その後も親の言う職業に就き、昇進試験

に合格するも親に反対され辞めさせられ、親の言う人を婿として取り、子育てし、

落ち着いたと思ったら孫の面倒を見つつ親の介護をし、、、

彼女が自分の時間を過ごせるようになったのは、年老いて身動きが取りにくくなって

からかもしれません。

比べるのも申し訳ないけれど、でも私がコロナに奪われたと思っている自由、

そもそも奪われるようなものを最初から与えられなかった彼女のことを考えると

胸が痛みます。

まるで自分の人生が無いかのような人生。

もう1年半以上会っていないなあ。

老齢だから、時すでに遅しとなる前に、彼女に会いに行かなければと思います。

会う度に同じ話をされる。何度も聞いた昔話を聞かされる。

それでも、彼女と過ごす時間が大切です。

うん、うんと頷いてひたすら聞いて、時に聞き疲れて、短気な私が先に話の続きを

言っちゃったりしても、何事もなかったように話を続ける祖母。

おばあちゃんと呼ばれるのが嫌で、「おば」を抜いて、あーちゃんと孫たちに

呼ばせていた母方の祖母。

まだ幼稚園に通っていた小さい頃は、存命中の父方の祖母にべったりだった私。

あーちゃんが東京に骨休めで出てきている中、父方の祖母があーちゃんに会いたがる

のを母がやんわりと電話で断っているのを聞いて、

「あーちゃんいつ帰るの?いつになったら帰るの?」と

父方の祖母に会えるようになる日がいつ来るのか、泣きながら本人に聞くような

憎たらしい孫娘でした。

それでもあーちゃんにとっては一人だけの孫娘。

会う度に親族の贔屓目でいつも褒めてくれたし、甘やかしてもらいました。

未だに死に金だから、と何かとお金を持たせようとする。笑

自分で選択できることがほとんどなかった彼女の人生だけれど、だからこそ、

私の存在は、その人生にとって何かしらの意味あるものになったのか、

そうであってほしいと心から願ってやみません。

私がジョーと同じ課題を出されたら、間違いなく、彼女のことを書くでしょう。

会いに行かなきゃ。

 

ここ最近の在宅勤務でBGM、バックグラウンドミュージックならぬ、

バックグラウンドムービーを流しながら仕事や家事をしています。

最近観てとっても気に入った「Carrie Pilby(邦題:マイ・プレシャス・リスト)」や

「the half of it」、Ali Wongの「Always Be My Maybe」などなどをメインに、

バックグラウンドにしているのですが、ここ2~3日はずっとラブコメの定番の一つ、

ノッティングヒルの恋人」を流しっぱなしにしています。

前もどこかで書いた気がするんだけれど、このヒュー・グラント演じる

William Thackerはとても理想的な男性です!笑

ヒュー・グラントって多分すごく背が高いわけではないし、顔も大きいし、

脚もそんなに長くなさそうという、モデルとか俳優というよりは普通の男感があって。

でもふわふわの柔らかそうな髪の毛に、決して大きくない垂れ目が色っぽい。

わからんが、顔もハンサムなほうなのだろう。

何よりこのブリティッシュイングリッシュが色気を増長させていると思うけれど。

あ、声かな。話す声。

ヒュー・グラントの特性はいいとして、彼の演じるこのWilliam Thackerは、

ウィットに富んだ物言い、繊細かつ思いやりに溢れる心、ちょっとしたハプニングにも

冷静に対応する器の大きさ、でもちょっと抜けたところもある可愛げ。

あれ?完璧じゃない??

冴えない男と大スターの恋物語的なステレオタイプなラブコメだけど、

実際、主役男性の設定、全然冴えなくなくない?笑

もちろんイケイケ男子ではないけど、あの繊細さが心を打ちますね。

 

なんだか小説のこととは全く関係のない話題ばかりになってしまいました。

どうしてもエンターテイメント性の高い本については(それに限らずですが)

感想として述べるのが難しいですね。

でも、ジョーのような苦学生は、アメリカにはきっとたくさんいるのでしょう。

私のホストファミリーも、高校生の頃から学費、車のローン、その他お小遣いを

稼ぐのに、バイトに明け暮れていました。

親のお金で留学させてもらっている私、早くも独り立ちへと向かって走り出している

米国人高校生。

違う世界が同じ屋根の下に暮らしているかのような感じでしたね。

 

甘やかされて育ち、未だに甘いことを言える環境に、私は感謝すべきなのでしょう。