Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 17th Book> 留学

規制緩和が徐々にされ始めました。

夜間の外出禁止令も2週間ごとに1時間ずつ短くなっているのですが、なんと、

朝方4時から外出可というのが3時になる今回の規制緩和には思わず文句たらたらです。

23時から朝3時、、、なぜ24時にしてくれなかったのでしょう。。。

 

「留学」(新潮文庫 著:遠藤周作

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https://www.shinchosha.co.jp/book/112303/

やっと外食できるようになったので、以前のようにお出かけしてみました。

今回も遠藤周作です。また読むのに時間がかかってしまいました。

現代文学は好きですが、読了に時間がかかります。

おかげで本書もみすぼらしい姿になってしまいました。

現代の小説よりも読みにくいから、というのも確かにあるのですが、それ以上に、

登場人物の多くが非常に繊細で、その心情描写が緻密だからではないでしょうか。

以前にも書いたように、性格が文豪っぽい私は、純文学のほうが、どうしても主人公や

登場人物に感情移入しやすく、その心情の揺れが頻繁で、かつ揺れ幅が大きいため、

ページを繰る度に消耗するような気がするのです。

 

さて本作は、「ルーアンの夏」「留学生」そして「爾も、また」から成る三部作です。

いずれもフランスもしくはローマへの留学生が主人公となっており、またも

異質であること、異端となることの浮ついた、地に足のつかない根無し草の状態ながら

背負わされた重圧に藻掻き足掻く人物たちの懊悩が描かれていました。

最初の2作は、宣教、布教を期待された留学生二人のお話です。

謎多き神秘に満ちた極東の島国から来た留学生に背負わされる、基督教の敬虔な

信者たちの無邪気な期待が膨らむほど、留学生の疲労は溜まっていきます。

善意で受け入れ世話になっている現地の人々に感謝こそすれど、邪険に扱うことは

とてもできない、もちろんできる限りの寄与はしたい、だが日本の状況を考えると

それは自分の力に及ぶようなことではなく、その期待を裏切ることになる、

そもそもこの厚遇を含め、その期待は正当な自分自身へ対するものなのか。。。

といったことを逡巡し、信仰そして自身と向き合う二人のお話です。

1作目は終戦後5年程度のフランスが舞台、2作目は安土桃山から江戸時代にかけての

ローマならびに日本が舞台となっていました。

3作目はマルキ・ド・サドを研究するフランス文学者が主役の作品でした。

とある大学講師の田中は、妻子を日本へ残し、大学の援助の元、意気揚々と巴里へ到着

するも、日本で見てきた元留学生の先輩らが(見栄を張って)語っていた輝かしい留学

生活や華々しの街並みと、自身が体験する現地での生活の差に愕然とします。

建築、作家、芸術など様々な分野において巴里へ来ている他の日本人の面々とも、

作品を創造することない外国文学者というものはせいぜい翻訳するくらいの「九官鳥」

だ、といみじくも指摘されて以来は折り合いをつけることができません。

講師をしている大学の後輩が、予想外にも間を置かずに後追いで巴里へ来ることを

なぜか間接的に聞くことになり、帰国後の大学での身の置き所の心配事も増えた。

現地で得られた確かな文字にできない感覚はあれど、女の一人も買えない自分が、

性に奔放、もはや病的なサドをなぜ選んだのか、そもそも自分は何を学問しようと

しているのか、そこにすら疑問を持つようになっていきます。

自尊心が甚だ高く、そのために傷つきやすいひねくれ者の田中は、巴里での生活に

身も心も疲弊することになります。

この3作目は少しサラリーマン的ですね、大学内の派閥抗争なども多分に触れられて

いるので、駐在員にも近い感覚があるかもしれません。

尤も、私個人的には会社なり大学からの援助の元、勉学をできる留学生になれるので

あれば、会社員でいることよりずっと羨ましいので、こんなに屈折したフィクションの

登場人物の田中にすら羨望の念を抱きながら読んでいましたが。

性格からしてああでもない、こうでもない、と考えてしまう私なので、生活が保障

されて、金銭に大きな不安のない状態で、それ自体をすることを推奨されている

海外生活なんて、夢のようです。

要はサラリーマン向きではないのでしょう。

中途半端な学者研究者気質、文豪気質が不向きにさせているのかもしれません。

 

私自身も留学生であったことがあり、今も母国ではない場所で外国人として生活を

しているので、登場人物たちのように懊悩は絶えません。

悩み考えるのが趣味のようなものではあるので何とも言えませんが(笑)、

慣れ親しんだ土地から離れ、異なる風土や文化がある場所で、ある程度の長期間

生活することで、想定していなかった価値観に触れることになるのは確かで、

良くも悪くも、自身への刺激は大きく、考えたいトピックについては、お陰様で

枚挙に暇がありません。

 

何より、自身の日本人性を自覚すること、データ化、一般化すること自体はあまり

好きではありませんが、日本や日本人の習性についても客観的に見やすくなります。

本作でも、本旨ではないものの何度かそのような表現が出てきますが(特に現代より

世界的な人の動きがなかった時代のことですから)、明らかに自分が見た目として

浮いた存在であり、他者(現地民)から、良い方で好奇の目、悪ければ嫌悪の目で

見られ得ることです。

今回のCOVID-19も、大感染となる前は、欧米にいたアジア人があからさまな嫌がらせ

を受け、時には身に危険が生じたという話題がいくつもありましたね。

未だに人種差別は根強いものなのだな、とニュースで悲しい気持ちになりました。

長らく欧米に住んでいない私は、現状どのようなものかはわかりません。

島国で隣国は海を渡らないと無い日本では、海外で中長期生活した経験がない人は、

おそらく自分の見た目が異質であることによる、日々の居心地の悪さを感じたことが

ある人は少ないのではないかと想像しています。

 

マレーシアの作業現場で仕事があったときは、私一人が色が白いんです。

マレーシアでもいわゆる3Kの仕事は外国人労働者を雇います。

作業現場マネージャー陣も、多くがマレー系もしくはインド系で、中華系のような

ビジネスへ意欲的な民族の多くはホワイトカラーで、作業現場ではあまり見ません。

研修員で現場に行かされていた私は、50人以上が集まる朝礼で、唯一、色が白かった。

その上、ヒジャブを被っていなかった。

明らかに自分が異質で、当初私が感じていたものは恐怖でした。

思わず、中華系マレーシア人がいないか自ずと周りを見回した記憶があります。

ですが、恐怖と同時に後ろめたさも沸き上がります。

私は異質であるものを受容できない料簡の狭さしか持ち合わせていないのだろうか。

異質なものに過剰反応するのは、私が"特殊環境”で育ったから?

その環境を言い訳にしてしまっていいのだろうか。

仮にそうであってもなくても、その環境に慣れ親しんでいるのは確かで、だからこそ

グローバルな環境に対応しづらい意固地さと無神経さも培ってしまったのでは?

欧米への憧憬の念は否定できないながら、アジア圏の国々へは無知でいることに、

何の疑念も抱いてこなかったのでは?

そこで生活している人々、特にモンゴロイドでない人々に対して、欧米人よりも遠い

存在で、無関係であると認識していなかったか。

むしろ無関係でいたいと望んでいたのではないか。

やはり私は人種差別主義者なのだろうか。

だけど、そんな恐怖感は、日常を共にすれば消えていきます。

だからこそ、その恐怖感に対しての後ろめたさは日々増幅するばかりでした。

三十路近くになって、初めて差別される側から、差別する側であった可能性に

思い至り、実感した経験でした。

差別は残念ながら、世の中から消えないのでしょう。経済に密着に絡んでいますから。

だから、きっと、たぶん、今も無意識下で私は差別をしている。

だって、私はおそらく、自分の肌の色が原因で、警察官から殺害されることはない。

私が差別者となり得ること、それだけは失念してはいけないと、日々肝に銘じて

生活しています。

 

このようなことを、日本で生活していたら、気がつかなかったかもしれません。

そう思うとぞっとします。

元から多様性に乏しい、調和的な様式美を重んじる、同質、均質的尺度を望まれる

教育や風潮に、私は馴染むことができず、息苦しさを幼少期から感じていました。

「良い」の基準が限りなく狭い。

でも、その嫌悪感すら感じていたその尺度が、知らず知らずの間に自分に根付いて

いて、その尺度に依拠して自らも他者をも見ていたことに、最近気づきました。

「デブス」な私が造形美に惹かれてしまうのは、その尺度に基づいたルッキズム

未だに自身に根付いているからです。これも差別です。

今でこそ、私は私のままでいい、私が幸せな人生を送るのに、他者の判断基準は何ら

影響するべきではない、と思うような練習をしており、十代から続いていたメンヘラ

生活から今更ながら脱却を試みています。

先日、会社の先輩から、(私としては日々するようにとても気を砕いているつもり

ですが)「(サラリーマン的に)本当に迎合しないで羨ましい」と言われました。

スキルでできる部分も大いに増えましたが、私のこれまでの人生の大半は、育てられ、

生活してきた環境や文化に迎合しようとして、できていないだけだったのでしょう。

哀れなものですね。

 

私が今から書くことは、不快に思えることかもしれません。

ですが、同質的、均質的尺度を持つことを望まれて育つということは、差別主義的に

育てられることと限りなく同義に近いのではないかと思うようになりました。

そして、他者に対しても、何より自分自身に対してもジャッジメンタルになります。

必要以上に判断的であることは、他者へも自分へも悪影響です。

そのような環境で育てられたことに対して、私は残念ですし、何より自分自身がそれを

気づかなかったこと、そして打開する気概が無かったことを恥ずかしくも思う。

だけど、気付きとなる経験を、この三十年の間に何度か得られたこと、与えてくれた

人々には感謝したいです。

 

さて、毎度のごとく、作品の本旨からはずれにずれてしまいました。

本3作の主人公の3人とも、海外へ出なければ、感じることも、考えることもなかった

であろうことに、煩悶していました。

正直、いずれの作品も結構暗い。笑

まあ遠藤周作の作品に明るいものはあまりないのかもしれませんが。笑

3作目の田中が、先輩たちが自慢していた留学生活はきっと虚勢であったと回想する

ように、”留学”とか”駐在”とかって、聞こえはキラキラしていていいものですが、

実際は地味でみじめな場面もたくさんあるものですよね。

まあ確かにキラキラ要素もゼロではありません。

欧米圏駐在の人のことを、私はバンコクから羨んでいるのですから、土地による

キラキラ要素も変わってきますしね、贅沢な話かもしれませんが。笑

だけど、私は留学生活も、駐在生活も、1個1個の楽しい出来事と、1個1個の辛い

出来事の、自分への衝撃度合いを比べたら、辛いほうが遥かに大きい。

だからこそ成長できるのかもしれませんが、本作の主人公3人含め、私たちのような

考えすぎる性質の者には、悩むネタが絶えない生活だなあ、と思っています。