Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 19th Book> 手のひらの音符

お出かけの機会が嬉しいことに増えてきました。

早く近隣国との国交が再開すればいいのですが、そんな簡単にもいきませんね。

 

「手のひらの音符」(新潮文庫 著:藤岡 陽子

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https://www.shinchosha.co.jp/book/120561/

 

ファッションデザイナー、45歳の水樹は、勤務先の会社が服飾業から撤退することを

急に知らされます。

15年以上勤めた会社でデザイナーとしてやってきた誇りと、仕事への愛情、情熱が

ある水樹には、大打撃です。

そこへ、中高の同級生の憲吾から、恩師が病床に臥せっているとの連絡が入ります。

お見舞いのために久々に帰省する彼女には、幼い頃からの思い出が蘇ってきます。

ギャンブル好きで、水樹が高校生の頃、急にタクシーの運転手を辞めて、怪しい

不動産業の職を得て、比較的貧しい生活から脱したものの、結局女を作って出て行って

しまったのにも関わらず、年を重ねてまた戻ってきた調子のいい父親のこと。

家計を支えるためにパートや内職を抱え、水樹を東京へ進学させてくれた母親のこと。

帰国子女で妖怪好きの、いつもどこか卓抜した印象を持たせる憲吾のこと。

自分の今のキャリアの下支えとなっている、進学を進めてくれて遠子先生のこと。

そして何より、同じ団地に住んでいた、後に音信不通となる幼馴染の三兄弟のこと。

真ん中の、同い年の信也とは想いを寄せ合っていた。

数々の思い出と、今の水樹の思いが交差しながら物語が進んでいきます。

これといって、見せ場もなければ、目を見張るような展開もないのですが、なんとなく

読者の思い出にも寄り添ってくれるような作品だと思っています。

 

 

恩師っていますか?

入院したらお見舞いに行くほどかはわからないけれど、意外と学校の先生たちのことは

心に残っているものですよね。

有難いことにSNSで繋がってくれている先生もいます。

人格形成期の自分に影響を与えてくれている人たちですから。

病床に臥せっていた遠子先生は、高校生だと既に人物が出来上がりつつ合って、

高校教師である自分にできることは少ない、でもだからこそ最後に関わる教師として

重要だと思っている、というようなことを言っていましたが、それは何となくわかる

気がします。

 

小中学校までは、学校が嫌いでした。

高校も途中まではそうでした。留学する前は、好きになれなかった。

やはり、クラスに馴染むということができない性質だったので。

学校行事とか、もうサイッコーに嫌いだった。笑

クラスみんなで!!とか、一致団結して頑張ろう!!とか、本当に苦手でした。

青春キラキラ★的な雰囲気も、それを追い求めようとする周囲の風潮も、私の求めて

いる、私が心地良くいられる世界観からは遠すぎて、私にはとても苦痛でした。

 運動会も、文化祭も、林間学校も、時が流れて終わることをいつも待っていました。

「どうしていつも足並みを合わせることを強要されるの?どうして全ての行事や物事

に強制参加させられるの?」という疑問が幼い頃からずっとついて回っていました。

足並みをそろえることに合理的な理由を見出せずに、そして誰もそれを提示しない

状況に、いつも私のやる気はそがれていました。

だって、それは私の興味のあるものではないもの。私が選んだものではないもの。

なのにそこに合理性も無いなんて、おかしいでしょう?

いつもそんな思いが私の中に鬱々と溜まっていて、「私が私であること」を存外に

否定し得るその教育方針、「私らしさ」と「私らしい選択をする機会」が、削られて

いく感覚が、本当にいつも面白くなかった。

性格的にも、協調性は未だにないですし、geekです。

 

相変わらず学校行事は好きになれなかったし、(極端な表現ですが)出る杭は

打たれる方式の日本教育の方針も好きではありませんでしたが、留学後に通っていた

高校へ戻ってから、私は職員室に入り浸るようになりました。

放課後になると、とりあえず職員室へ向かい、先生方の仕事の邪魔をします。

私のお気に入りは、国語の先生でした。

「ちょっとお時間いいですか。ご相談したいんですけど」

そう言って、かるく1時間はいつも話し込んでいたように思います。

「会話」「対話」の面白さを初めて教えてくれた人でした。

留学後に1学年落として所属した同級生達は、本当にいい子たちで、それこそ

この私が馴染めるくらいには、個性的で寛容で、面白いメンバーぞろいでしたが、

早熟だった私には、同級生で「会話」ができる人を見つけるのは少し難しかった。

自分の中に何かを落とし込む作業を、この国語の先生はいつも助けてくれていました。

当時は若手の、世界史の先生は、なんだか可愛らしくて、大ファンで、話しに行きたい

がために、毎回無理やり、質問内容を作っていました。

私の青春は、この先生への淡い憧れだったのかもしれません。

もう一人の世界史の先生は、とても聡明で、少し浮世離れした人だったのですが、

いつも私の耳が痛くなるような、現実的な指摘を淡々としてくれる先生で、

自分に渇を入れないといけないときには無意識的に足が向いていたような気がします。

高校3年の時の担任が体育・保健体育教師とわかったときには、正直、受験の年に

また体育の先生かあ、と内心嘆きました。

(しかも中学の2、3年の時も体育教師が担任で、人間性が合わずにあまりいい思い出は

ありませんでした。そもそも体育、大の苦手で、体育以外はオール5でも、体育だけは

万年3で個人的に確執だらけ。笑)

ですが、今度の体育の先生は、必ずしもタイプが合うわけではない私ともしっかり

向き合い、とりとめのない会話も付き合ってくれる人で、初めて好きになれた体育の

先生でした。卒業後も何度か飲みに行ったりしてくれて、交流があったのは有難い。

また会いたいなぁ、と思わせてくれる先生たちで、恵まれていたと思います。

私が受けてきた日本の教育自体には、あまり良い思い出はありませんが、卒業した

高校の、のびのびした、個性あふれる、そしてそれをなるべく尊重しようとしてくれる

先生と同窓生たちには、救われるものがありました。

 

よくゴリゴリの日系企業でサラリーマンやっているよなあ、と我ながら感心します。

しかも水樹と違って、自分の’仕事に情熱なんてこれっぽっちもないのです。

言われたことは責任もってやりますけどそれ以上は求めないでね、会社にお金もらいに

来ているだけなので、のスタンスで何とかサラリーマンをやってきているのです。

それでも馴染もうとして、「自分らしさ」を大分削ってきたのでしょうね。

にも関わらず、とある上司に数年前、お酒の席で、

「チームで一生懸命取り組んで、何かを作り上げた経験って君にはないでしょう?

その良さを知らないでしょう?」

と、彼自身は誇りを持ちながら言われたことがありました。

ないです。それに興味もなかった。

だけど、それが非難めいて聞こえることがとても不快でした。

実際に彼が中立的な感想として述べたのか、それともやはり、そんな経験が無いのは

もったいないことだという意味を込めて言ったのか、定かではありませんが、

非難めいて聞こえるような刷り込みを自分自身がされていたことにもイラつきました。

評価されたくて、馴染めるようになりたくて、そのコンプレックスを克服しようと

それなりに自分を削ってきたのに、結局評価されるほどできていない、とても中途半端

な大人になってしまいました。

 

貧しかったかもしれないけれど、そのような中で、自分のやりたいことを見つけて

それに邁進していた登場人物たちに、思いを沿わせるのは簡単ではないかったな、

今回の本。

彼らは、自分の在り方を尊重してくれる環境にいたように見えてしまって。

私は往々にして「出る杭」だったから、それが尊重されることがあまり無かった

気がしてしまって。

結局、考え方も自身の選択も含め、当時も今も私であることは百も承知なのだけれど、

受けてきた教育や教育環境については、恨み節めいた思いを常に持っています。

 

毎度のごとく、本の本旨とは必ずしも関係ないことばかり書いていますが、

そんな幼く若かった日々の思いが、自分の胸の中にも湧いてくるような作品でした。