Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 24th-26th Book> あやかし草子・黒武御神火御殿・きたきた捕物帖

宮部みゆき氏の作品は多く読みますが、時代小説は全て読んでいたりします。

 

「あやかし草子」(角川文庫)

「黒武御神火御殿」(毎日新聞出版

 「きたきた捕物帖」(PHP

著:宮部みゆき

f:id:kanaebookjournal:20200829224715j:plain

https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000206/

http://mainichibooks.com/books/novel-critic/post-705.html

https://www.php.co.jp/kitakitamiyabe/

 

ミステリーやファンタジーでも有名な宮部氏で、その多くを私も読んでいますが、

私は彼女の時代小説が何より好き。

さすが宮部氏、ミステリー要素も多分にあるのですが、思わずほろっとさせられる作品

が多くて、何となく心が浄化された気分になったりするのです。

中には、大泣きしたものもありました。

「孤宿の人」という宮部氏の時代小説ですが、今でもお気に入りの作品です。

時代小説は、娯楽性もありながら、何より現実逃避がしやすいのもいいところ。

 

さて、今回続けて読んだ三作のうち、二作、「あやかし草子」と「黒武御神火御殿」は

長く続いているシリーズ物の続きです。

神田の袋物屋の三島屋の主人が、ほんの出来心で、酔狂で始めた、三島屋百物語。

三島屋の黒白の間で語られる話は「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」

これまでも来訪した客(時には必ずしも生身の人間ではないこともあった)が、

心に凝った物語を語り、三島屋の姪っ子おちかがそれを聞き捨ててきました。

おちか自身もかつてはこの黒白の間の語り手であったこともあり、それが叔父夫婦の

家で暮らしている由縁でもあるのですが、過去にわだかまりを持つ若い女性です。

奉公先での貰い事故で怪我を負った治療をかねて戻ってきた三島屋の次男坊の富次郎

が、最近は次の間で控えて話を聞くようになり、おちかのめでたい話を機に、今度は

彼が百物語の聞き手になりました。

白黒の間で繰り広げられる、人々の心にしこった、語りたくても語ってこられなかった

物語。

鳥肌が立つような話(第六感的に怖いものだけでなく、人間のどろどろとねばついた

汚い部分を見せられる)もあれば、思わず涙が頬を伝うような話も出てきて、

一話読むたびに壮大な冒険をさせられます。

「きたきた捕物帖」は、これからシリーズとなるであろう小説の一作目でした。

北一は、親の顔を知らないままですが、育ちの親は文庫屋でありながら、岡っ引きの

千吉親分。

ところが周囲の信頼も厚い親分が十六歳の北一を残し、フグの毒に当たって急死。

北一は文庫屋の振り売りを続けつつも、親分のおかみさん、差配人の富勘、欅屋敷

武家人の青海新兵衛、そして長命湯釜焚きの謎多き喜多次らに助けられ、支えられつつ

新生活そして身の回りに起こるちょっとした事件を解決していきます。

控えめで自信の無い、自称へたれの北一が、少しずつたくましくなっていくのも

なんとなく可愛らしい。

 

いずれの作品、物語にも多くの登場人物が出てきて、各人それぞれの人物描写が

毎度緻密で、かつそれらを基にした物語の進み方、伏線の引かれ方にも毎度感激

するのですが(これは彼女のミステリー作品でも一緒かもしれませんね。)

描かれている時代が時代だからこその、人の命の儚さやそれに付随するその重さ、

人と人との繋がりやそこから生まれる関係性などが、なんだかとても貴重で尊いものに

感じられて、なんとなく現代の生活で得にくくなった気がする、そういう感覚を

取り戻してくれるのが、私にとっては、宮部氏の時代小説です。

 

読了したのはしばらく前なのですが、感想文を書くに至るまでえらく時間が経って

しまいました。

というのも、数日前に、急遽、腹腔鏡手術をすることになり、パソコンを開く気に

なれなかったのです。

腹痛で病院へ行ったら、あれよあれよという間に、即日手術。

お腹に穴を開けたというのに、翌々日には退院させられました。

5年ほど前も別部位で腹腔鏡手術を受けましたが、その時よりも手術から入退院から、

全て外来の延長的な、何とも軽い感覚で行われるので、日本の病院が過保護なのだと

実感した次第。

バンコクへ赴任となってから、ほぼ常に体調不良で会社にも多少心配をされていること

が分かっている中で、この1年、健康には特に気をつけて自炊や運動を心がけてきた

のにも関わらず、1年足らずの間に2回も入院とは、何とも不甲斐なく情けない限りで、

身体よりも精神面で落ち込んだりしていますが、仕方ないよね。

早期帰国を言い渡されることだけが不安。笑

申し訳ないが、今の日本には、政治的にも健康面でも帰りたくありません。

 

こんな時代小説が好きな私で、日本のかつての歴史や文化に多少はロマンを感じている

からこそ、手に取って読んでいるわけですが。

日本で主流と見られる思想や考え方から離れつつあります。

駐在として得られるものは多い、だから感謝すべき、という会社やザ・サラリーマンの

言い分もわからないことはないですが、海外で生活を送るにあたり、失っているものも

不便を強いられているものも多い。

だから、会社が高コストを駐在員に支払うのは当然であり、会社員はどこにいても

自分の為すべき仕事を自分の責任の範疇で行えばいいのです。

駐在員で高いコストを支払っているから、なんてことを周囲から言われることも

あるかもしれませんが、それならそもそも駐在置くなよ、と思うわけです。

私だって、バンコクなんて好きで来たわけではないし、好きになれないし、今後も

好きになれそうにはありません。

生活の場所として考えるのであれば、東京のほうが断然いい。

選んで来た場所じゃないんだから、恩着せがましく言ってくれるなよ、と仮に私が

コスト云々など誰かから言われたとしたら思ってしまいます。

だけど、日本にいたときに、会社員生活を送る中で、ここまで割り切った考え方を

していたかといえば、そんなことはありません。

このような考え方に近かったけれど、ここまで断言できませんでした。

ただでさえ、日本でもリベラルな考え方に近いものを持っていましたが、

海外生活を重ねるにつれて、その度合いが余計に増し、日系企業の命令で海外で生活

しているのにも関わらず、その日系企業の意図や意思に必ずしも一致しない考え方を

成長させることになりました。

なんとも皮肉ですが、海外で生活をするということは、多くの知見や経験を増やせる

反面、ただでさえ日本で息苦しさを感じていたような私からすれば、母国での

暮らしやすさ、日本社会での適応能力を失ったも同義です。

政治的にもコロナ的にも帰りたくない、そう思ってしまう思想や考え方を学び得る

経験となったということです。

得るものがあれば、失うものもある。

現代を生きる人間として、失えてよかったと思えるものではあるけれど、でも失うこと

によりこれからの苦労も計り知れない。

私は常に自分を鼓舞して、今まで以上に強くなければならない。

ただ生きていくだけで、そんな風に思うことなんてこれまでありませんでした。

駐在なんて、キラキラして聞こえると思いますし、経験しない限りはそうなのかも

しれないけれど、私は得たものよりも失ったものも多い気がしていて、なんとも

それが切ない今日この頃です。

だからこそ、生活圏が限られていた江戸時代にワープして、色々な物事の本質を

大事にできていたであろう当時の人々の話を、フィクションでも想像でも、触れる

ことによって、心を浄化し、改めて見つめなおす、そんな時間が必要だったのでした。

きっと昔の人々は、もっと本質的に、得ることと失うことの同義性を感じていた

気がするのですよね。

それこそ、三島屋シリーズの「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」の決まりは、

それを象徴する文句に思えます。