Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 28th Book> あのこは貴族

東京って世界の大都市トップ3にはおそらく入っていそうだけれど、

そんな大都市で生活しても、見えるものは、人によって全然異なるのでしょう。

東京に生きるアラサー女性たちの物語です。

「東京」がたくさん描かれている作品で、少し恋しくなりました。

 

「あのこは貴族」(集英社文庫著:山内 マリコ

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http://bunko.shueisha.co.jp/tokyonoblegirl/

 

本作は、多少ネタバレになるし、芸もありませんが、主要登場人物を紹介するのが

一番わかりやすいでしょう。

榛原華子:東京生まれ、三姉妹の末っ子で、実家は松濤で整形外科医院を代々

経営している。祖母の母校であるミッション系私立女子学校に小学校から姉妹とも

通うような家庭に育つ。通二十代後半になり、仕事を辞め、結婚に焦り様々な活動を

する中で、青木幸一郎に出会う。

青木幸一郎:同じく東京生まれ東京育ち。弁護士。実家は神谷町のお屋敷で、倉庫業

を経営。親戚が政治家。卒業した慶応大学は幼稚舎から通っていた。

時岡美紀:青木幸一郎の「友達」。地方都市の港町出身。慶応大学合格とともに上京

するが、家庭の事情で卒業せず、三十を過ぎた今は、IT関連の企業で働いている。

相楽逸子:小中高と華子と一緒の学校に通った友人。大学からドイツに音楽留学

し、ドイツと日本を行き来して生活している。

 

作品としては、女性同士の友情がメインとして描かれている気がしました。

だから爽快感があって、とても好き。

女の敵は女、とかいうけれど、結局それは男の都合で作り上げられた幻想なんだよね、

そんなご都合主義に構ってられない、やっぱり女同士手を取り合ってやっていかない

とね!と励まされました。

そう、今の時代、まだ、女性の一番の味方は女性です。

どうしても女性が女性を敵視しがちになってしまうのはわかる、私もまだそういう

感情を抱いてしまうこともあるし、何かしらの敵視を女性から感じたら遣る瀬無くも

なります。

(たとえば、海外にいると、駐在女子、現地採用女子、駐妻というような枠組みが

あるらしく、各カテゴリーに所属する者同士が、なんとなく嫌厭する、というような

話があるそうです。私は幸いなことに直接的に、私自身が感じることはありませんが)

ですが、今はまだ、男性は女性の完全なる味方になってくれていません。

本当の意味で味方だったら、こんなにも男女格差がある世の中にはなっていない。

女性が自分たちが品定めされることに自発的で、それであるが故に、女性同士が

いがみ合っていたほうが、男性たちに取っては都合よく、その場に鎮座できるのです。

だからといって、男性を敵視しているわけではありません。

敵意や敵視は、同じ社会に住む者同士にとって、全くもって悲しいものです。

なぜならそれは、理解の姿勢を拒否するものだから。

まずは女性同士から、理解の姿勢を深めていければ、そしてそれを広めていければ、

性別年齢問わず、自分らしい生き方を真の意味で模索できるようになるのではないか、

と私はどうしてもその夢を諦めきることはできない、理想主義者なのでしょう。

女性ならではの、男性が作り上げた男性優位社会であるからこそ抱く葛藤や懊悩を、

現代女性の生きる社会構造も併せて、漏れなくこの登場人物の女性3名が、程よい距離

感の友情を以て語ってくれていて、各人進む道は違えど、果たして私はどう生きて

いこうかと、あらゆる選択肢があるのかもしれない、と少し勇気づけられる思いも

するような作品でした。

 

私、これまであまりはっきりとは意識してきていなかったのですが、「東京の人」にも

少なくとも二種類ある、というのが今回はっきりしました。

先天的東京人と、後天的東京人というのだろうか。

前者が華子や幸一郎、逸子で、後者が美紀になるのでしょうが。

あらゆる東京人(東京に今住んでいる人、昔から住んでいた人、働いている人)と

話してなんとなく感じていた空気というのかな。

生活エリアや、出入りする店、言葉遣いや、所作で何となく感じ取れる、

その人の持つ「東京度合い」。

世界有数の大都市なのに、多様性に乏しい日本的な風情も相まって、独特な空気感が

「東京人」には漂っている気がしています。

ひょっとしたらニューヨークとかロンドンとか、大都市に住まう人にも似たような

空気感が流れているのかしら。

いずれも訪れたことがないからわからないけれど、都市、Cityは画一化されがち

ですよね。

どこの大都市に行っても、あまり変わり映えがしないイメージはあります。

話がそれましたが、先天的東京人は、東京の人口から鑑みれば、相当希少なのでは

ないでしょうか。

華子たちのようないわゆるハイソな社交界に入るような人々と、てやんでぃの

江戸っ子と、先天的東京人にもきっと色々あるのでしょう。

そして、「東京」という街はおそらく、後天的東京人が、「東京」を日々夢想し、

破壊し、そして築いているものなのだろうとも思います。

 

私自身は、きっと美紀と逸子のハイブリッドかしら。

今もまだ垢ぬけたとは言えませんが、ほんの5年くらい前まで、私は相当に

野暮ったかった自覚があります。

首都圏で育ちましたし、大学から東京に通学、通勤していますが、なんだか

おぼこさがあったように思います。

それはおそらく精神的な人間としての成長が未熟だったことが大きく起因しているのも

そうなのですが、「東京」を自分の中で、単なる場所として以外、認識していなかった

からなのかもしれません。

いつからか、私はシティガールになりました。

日本で仲良くしている友人二人によると、私はシティガールなんだそうです。

その二人はそれこそ東京生まれ、どちらかというとハイソな世界の東京育ち

(ふたりとも、私同様、人生の一部は海外に触れていますが)なのにも関わらず、

私が一番シティガール。

帝国ホテルのラウンジが一番落ち着いてしまう華子に対して、有楽町の忙しないお洒落

なイタリアンレストランで、キラキラした東京が好きだ、というようなことを、美紀が

言う場面があります。

華子の知っている世界(東京)は、とても狭くて、限られていたけれど、美紀が

上京して見てきた東京は、華子の知らない世界。

反対に、美紀も華子や幸一郎のの生まれ育った世界に憧れを抱きつつも、絶対に

超えられない一線があることを、肌身に感じてきました。

いつからか私もキラキラしたものを「東京」に見るようになり、それを追い求める

ようになっていました。

いるだけで幻想的な気分にさせてくれる空気感があったりするんですよね。

自分のしっぽを追いかける犬みたいな、馬鹿なんだけど、入り込まない限りは

無害な夢想感というのかしら。

「東京」には、大都市には、そんな不思議な力とムードがある気がしています。

シティガールといえるほど、今もあか抜けてもいませんし、結局、他の日本人から

見たら、”海外かぶれ”感が否めない、私のファッションや言動から、東京に戻っても、

あの独特な「東京」の空気に馴染めるかわからないですけれど、それでもやはり

恋しいと思うほどに、東京は好きな街です。

バンコクより断然好きです。

初めて本当の首都、それなりの都会に住んでいますが、それでもやっぱり、東京に

比べたらバンコクなんて、、、と思ってしまうくらいには、東京が恋しくなることは

時々あります。

そういえば、華子と幸一郎の出会いは、紀尾井町のオーバカナルだった。

ああ、なんて懐かしい!

学生時代、何度行ったことか、社会人になっても度々利用したなあ。

 

きっと東京は今も、日々破壊されては築かれているのでしょう。

そう遠くない未来に戻る予定ですが、どれくらい様変わりしているのか、寂しい気持ち

も抱くであろうことを予想しつつも、楽しみでもあります。