Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 31st Book> PACHINKO (パチンコ)

オバマ元大統領も推薦しているという宣伝文句に手を取った本作。

在日コリアンの壮大な家族ドラマとなっています。

コリアンが英語で執筆した本作ですが、在コリアンの小説です。

ぜひとも日本人の多くに読んでほしい。

知らないことも、考えたこともないことがたくさんあって、恥ずかしくなりました。

 

「PACHINKO(パチンコ)」上・下巻(文藝春秋

著:ミン・ジン・リー   訳:池田 真紀子 

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https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912257

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912264

 

1910年代の朝鮮半島を舞台に始まる、コリアン4世代にわたるお話です。

その当時、朝鮮半島は、日本の統治下にありました。

釜山にほど近い影島で下宿屋を営む夫婦の元に生まれたソンジャ。

父親は身体も五体満足とはいえず、風采の上がらない男でしたが、その分、妻と娘を

心から愛しており、3人と下宿人たちとで、決して裕福ではないながらも幸せな

生活を送っていました。

父親亡きあとも、母娘で同様に下宿屋を営みながら、つつましく生活をしていました。

近くに商売をしに来ていた、済州島出身の裕福な(後ろ暗いビジネスをしている)

コ・ハンスと恋に落ち、ソンジャは子供を身ごもりますが、彼には日本に妻と娘がいる

ことが判明し、彼との関係を金輪際断とうとします。

当時のコリアでは、シングルマザーも父無し子も、人間扱いされない、途方に暮れて

いた中、当時下宿屋に客として駐留していた、平壌出身でキリスト教宣教師のイサクが

ソンジャと結婚して、お腹の子供の父親となることを名乗り出ます。

大阪で働く兄夫妻の元への旅中であったイサク、ソンジャも夫とともに日本へ渡る

ことになり、在日一世となります。

渡日から、戦中戦後に及ぶ生活苦、そして在日二世、三世まで続く在日コリアの

アイデンティティにおける煩悶を描いた、超大作の物語です。

 

知らないことばかりでした。

祖母は幼少期からある程度の年齢になるまで、平壌で生活していたと話された記憶が

あります。

乳母がいて、お手伝いさんがいて、それは裕福な暮らしをしていたとのこと。

日本が敗戦したときには、コリアンやロシア人から、(祖母は朝鮮人やら露助やら、

差別用語満載で私に話していました)命からがら逃げだして、釜山へ向かい、

ようやく九州向けの船に乗り、船内で大流行していたコレラにも何とかかからずに

済み、日本へ到着したと言っていました。

平壌から九州への道のりで、どれだけの人が命を落とすのを見たか、それが日常と

なっていたというようなことを話された記憶があります。

その後の彼女の日本での人生も苦労の連続ですが、朝鮮半島にて暮らす日本人という

特権の元、お嬢様育ちであったであろう彼女にとっては、その日本への帰国の旅が、

どれだけ衝撃的であったものでしょう。

また年代も、状況も、ソンジャが日本へ渡った時とは異なりますが、日本人である

彼女がそこまでの苦労をしたのであれば、戦中戦後下に在日コリアンとして日本で

生活するなんて、私には想像もつきません。

 

高校大学の同級生にも、コリアンの友人たちがいました。

在日の人もいれば、留学生もいましたが、日本が加害者であるからなのか、

だからこそしっかりとした歴史教育を受けていないからなのか、何も知らない私は

ただのクラスメートとして接していましたし、他の子たちも同様だったと思います。

でもきっと、彼らは戦前からの日韓日朝関係の歴史を知っています。

ひょっとしたら、その無知であったことが、彼らを傷つけていたのではないか、と

思うと、鳥肌が立つというか、いたたまれない気持ちになります。

この小説を通して、非常に浅いながらも日韓日朝関係の歴史概要を学べたことは

大きかったです。

パチンコ業界はコリアンが強いなんて、恥ずかしながら私は知らなかった。

在日何世かのクラスメートの彼らが、どんな気持ちで生活しているかも知らなかった。

無知は、無神経とほぼ同義であることを改めて思い知らされました。

 

日本が外国人にとって生活しづらい国であることは、日本人である私ですが、

何となくは感じ取っていました。

そもそも、言葉の壁が大きい。街中はほとんどが日本語での看板ばかり。

英語で話しかけても、通じにくいでしょう。

あとは人種。明らかに見た目や肌の色が大多数いる日本人と違えば、それだけで

異質なものとして認識される、差別体質が根付いています。

そもそもが同調や調和が基盤となって社会やコミュニティが形成されており、

その空気感が共有されていますから、その和を乱すものに対しては、排他的な姿勢と

なっていますから、一見して肌や目、髪の色が違えば、言うまでもなく差別されます。

最近、NIKEのCMが話題になっていましたが、日本に人種差別がないなんて、

あり得ません。

数あるNIKEのCMへのコメントをいくらか読みましたが、あまりにデリカシーのない

発言も散見されて、胸が痛くなりました。

人間はそこまで無神経になり得るのか、と。

同調や形式美を重要視するあまり、人種に関わらず、差別体質ができあがっています。

そしてそのような社会に生まれ育った私たちは、自分が差別しているかもしれない

ことを、常に自覚しようとし、意識しなければなりません。

話がそれましたが、在日二世のノアやモーザス、モーザスの息子のソロモンは、

日本に生まれ育っているのにもかかわらず、「日本人」になれない現実を生きていく

ことになります。

朝鮮半島分断前に親が渡日してきているのだもの、自分のルーツである国すら、

よくわからない混沌とした状態になっているわけです。

この地球上に人間として生きていくことは、必ずどこかの国に所属して、何かしらの

言語を母語とし、それらをツールとして意思疎通を他者と図っていくことです。

ある国に生まれ育って、その国の言葉を話し生活していることが、自分の

アイデンティティとして、意思疎通を図っている他者から認知されない、受容されない

場合、一体、その人は何を拠り所にして、自分というものを認知し、理解していけば

いいのでしょう。

31年の人生で、現時点で通算約7年間を私も海外で生活しています。

「今はいいかもしれないけど、日本でそれやったらちょっとアウトだね」と

こちらの日本人の人たちから、服装なり言動なり、今タイで生活していても言外に

匂わせられたり、そのまま言われたりすることはしょっちゅうあります。

私は誰にも迷惑もかけていなければ、傷つけようとしていることもないのに。

それだけで、私は「日本人」失格なのか、じゃあ私は「なに人」なの?

海外で生まれたとはいえ、日本での教育は全て始めから終わりまで修了し、

日本で育った私ですら、ステレオタイプから少し外れるだけで釘を刺されます。

在日外国人、ミックスルーツの人たちは、どんなに肩身の狭い、不快な想いを

していることか。

帰化すれば、日本のパスポートは手に入ります。

法律上は日本人でも、「日本人」にはなれない。

そんな残酷な排他性が、日本には悲しいことに根付いています。

 

「日本人は一致団結して世の中が何一つ変わらないようにしてる。しょうがない、しょうがないと口をそろえて。もう聞き飽きましたよ」

本作の中のとある在日コリアンの発言です。

的確すぎて、読んだ瞬間に胸をつかれました。

しょうがいない、仕方ないマインドというものが、日本人の根底にはあります。

泣き寝入りすることが、求められています。

何かが起きても、改善するのではなく、現状維持することをまず考える。

その現状が明らかに異常であっても、見なかったふりをする。

見えていたとしても、「仕方ない」といって変えることを拒む。

今の日本政治も、変わらないことに固執する権威主義体制にしか見えません。

この言葉は、如実に今も続く日本の現実を、如実に表現しており、耳も心も痛く

なりました。

 

余談ですが、訳者の池田さんは、私の大学の学部学科ともに先輩であることを知って

妙に親近感がわき、キャリアも含め、色々と考えさせられました。

こうして、愛する母校の卒業生が活躍していることはとても励みになりますね。

 

さて、またも本作を読み終わったのはしばらく前なのに、ブログ更新に時間が

かかってしまいました。

先月はお誕生日があって、お祝いしてもらえる友人たちがいて忙しく過ごし、

今年の誕生日は入院することもなくほっとしつつも有難く思っていたら、

なんとまた明後日から、入院手術です。

約6年前に手術した後遺症のような嚢胞が卵巣にできていることが発覚しました。

つい3か月前に別部位の手術をしたばかりなのに、また手術か、とさすがに気が

滅入って、涙した日もありましたが、こればかりは「しょうがない」。

日本の今後の未来を考えるなら、現思想、体制にメスを入れるのは必至かと。

母国のためにも、改善のための「しょうがない」を言っていきたいものです。