Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 33rd Book> 彼女の名前は

次年含め、今後も声をあげよう、このブログを続けていこう、と思わせてくれる、

今年最後に読了するにふさわしい作品でした。

 

「彼女の名前は」(筑摩書房著:チョ・ナムジュ   訳:小山内 園子、すんみ 

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https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480832153/

 

以前も本ブログにて紹介した、フェミニズムの代表作のひとつとも言える

「82年生まれ、キム・ジヨン」著者のチョ・ナムジュ氏が書いた短編集です。

上述作品は、映画化もされ、日本での公開時には、日本版の映画ポスターや、

映画に関してのワイドショーコメンテーターらの意見や反応が波紋を呼んでいた

記憶があり、それらに対して、ため息が出た記憶があります。

著者が多くの女性に取材をし、おそらくそれらの実話を元に書かれた本作。

行き過ぎた家父長制。過剰に求められる性的役割。性暴力。生理用品も買えない貧困。

読み進めるのが簡単ではないエピソードも少なからずありましたが、

韓国の女性たちのひたむきでありながら、揺るがない強さを目の当たりにしました。

自分たちの置かれている現状、現況を客観的に把握し、それがいかに人道的、合理的に

考えて理不尽であることかを実感し、逆境に負けじと声をあげている。

韓国の政治には明るくありませんが、よほど日本の民主主義よりしっかりしている

(もはや比較するのは韓国に失礼かもしれません)ように感じられました。

読んでいて、デモが多い印象を受けましたが、決してそれは悪いことではありません。

少なくとも、事なかれ主義でもなければ、なおざりにしない、不正には異議を示し、

人権や自らの権利に関わることについては主張を辞さない姿勢は、怠慢からは程遠い

ものです。

自らの世代で必ずしも変わるとも言えない、自らがその権利を享受できなかったと

しても、後世にそれを残したくはない、という当事者意識の強い韓国の女性たちの

明確な意志がひしひしと伝わってくる作品です。

15~20年前くらいから、韓国ドラマが日本で流行り始めましたね。

フィクションであるそれらのドラマで描かれていた多くの韓国人男性は、亭主関白で、

家父長制が日本以上に強く根付いているという印象でした。

そんな韓国におけるフェミニズムの昨今の台頭は目を見張るものです。

今年の日本のジェンダーギャップ指数は世界121位、言うまでもなく韓国より下位、

G7国の中では圧倒的下位です。

おかしいことを「おかしい」と言える。欲しいものを「欲しい」と言える。

そして、それらのために実際に自ら活動する韓国の女性たちに感銘を受けました。

本当は、男性にも気付いてほしい。男性にも言ってほしい。男性にも動いてほしい

それでこそ、後世に繋げられる何かであるはずなのです。

韓国はもう一歩、もう二歩なのかもしれません。

日本は、あと何歩?気付いていますか?言えますか?動かないんですか?

私はいつも、まず不利益を被っている女性で気付けるはずの人たちにもどかしさを

覚えてしまい、その不利益を当然のものとして男性が享受しているこの構造に、

どうしても我慢がならない。

隣国で踏ん張り、頑張っている女性たちにエールを送りつつも、自分の育った日本の

置かれている状況に、如何せんひどい焦りを感じてしまう本作なのでした。

 

先日、業務秘書がいる日系企業の方とプライベートながらお酒の席を共にしました。

みな同世代です。

社長の傍をつかず離れず、いわば社長業務を代行する業務秘書。

出世頭でもありながら、あまりの責任重大さと、出張の多さ等の物理的体力的負担

から、長年は勤務させないというような裏話も聞きました。

女性の業務秘書の方はいらっしゃったことがあるのですか、と思わず口をついて

出てしまいました。

「さすがにいませんね。総務秘書(多くの人が想像する秘書)はみんな女性ですけど。

業務秘書では、あらぬ疑いをかけられることもあるから、上司側(社長)も部下側も、

希望する人もあまりいないんじゃないかな」とのこと。

あらぬ疑いってなんだよ、と思っていたのですが、つまりは、社内で枕営業をして

いるのではないか、実は業務上どこにでもついて回ることになる業務秘書と社長

(もしくは人事影響力のある人物)でデキているのではないか等、そういう疑いを

社内からかけられ得かねない、ということだったのです。

もう、あまりに色々と私の感覚からかけ離れていて、思わず、

「いやいや、もう意味がわからないでしょう。それは明らかにその社内マインドが

おかしくないですか」

と、他社のお話なのに思わず声を荒げてしまいました。

頭の中にいくつものハテナマークが浮かんできたんですね。

ーそもそも、性自認性的指向に関しての配慮が皆無。

 社長にしろ業務秘書にしろ、なぜシスジェンダーヘテロだと言える?

ーデキていたとしても、本人たちの問題で、その会社で必要とされる責任が各役割で

 しっかり果たされているのであれば、周囲がとやかく言うものではなくない?

ー周囲がとやかく言うことがあったとしても、それを理由に、性別問わず、優秀で

 適任だと思われる人材を、その場に配置しないという感情的な決断って会社として

 頭おかしくない?

ーてか、総務秘書に男性はいないのかよ!?なんで???そもそも社長も歴代男しか

 いなくて、今後のことについても男性社長であることが前提でお話されています

 よね(笑)

などなどなどなど、もう私の頭の中はハテナだらけでした。

私の声を荒げてしまった発言に対して、その場にいた人たちは、

「...いやいや、でも(そういう周囲の邪推)あるって(苦笑)」

って感じでしたが、もう私からしたら

いやいやいやいや、それ支離滅裂、単純なものを複雑にしているだけでしょ!?!?

その無駄で不毛な複雑さが伝統として踏襲されてきたという理由以外に、特に

その選択肢を選ぶ理由なんてないんだろ!?!?!?

と、もう疑問と怒りでいっぱいです。

苦笑されて、その場をそれで流してしまったことに後悔をしています。

そのままでいいの?

世の中そういうもんだから、って笑って流せることがオトナなの?

その世の中に欠陥があるとは思わないわけ?

流すことができる人が面倒くさくないヤツ、話のわかるヤツなわけ?

こうして書いているだけで、悔しくて、悲しくて、怖くて、涙が出そうです。

日系大企業に勤めてらっしゃる方々なんだから、日本の学歴社会であることを鑑みれば

勉強ができるのであろうことはもちろんのこと、頭も良いのでしょう。

歴史ある会社で、これまでの日本経済を牽引してきたと言っても過言ではない会社の

同世代の方々からのこの完全なる思考停止発言、看過できませんでした。

これからもきっと、日本社会を、経済を引っ張っていくんですよね?

なのに、そこで勤める若手~中堅社員のマインドセットがこれか、と。

バブル世代からのアップデートが為されていないのか、と。

その会社だけではない、おそらく未だに新自由主義で突っ走ろうとしている日本社会

では、多くの日系企業が同様でしょう、私が勤める会社も言うまでもなく同様です。

学ばないことが良しとされる、推奨される社会となっているように思えて、最近は

恐怖を覚えるようにもなってきています。

本作の勇気ある女性たちの数あるエピソードに触れて、その焦燥感、不安感、恐怖感が

更に増しました。

励まされるというよりは、それを通り越して、急かされている気分にもなりました。

 

上司だから、お客さんだから、そんな私の利己的な理由で、声をあげるべきときに、

言うべきことを言わなかった場面が、本当はもっとたくさんあります。

ジェンダーは、社会を構成する数ある概念のひとつです。

本作は、そのジェンダーの観点から、女性が主役の作品です。

本当は、ジェンダー関係なく、どのような社会が理想的か、社会を構成する各人が

考えて、発言して、行動していけるような世の中になってほしい。

今は、その余裕がない人が多すぎる。

余裕がなくなるように、諮られているようにさえ感じる。

今は、私は考える余裕があります。

というか、思考が趣味のようなものですので、思考しないことはありません。

今年一年、少なくともジェンダーについては、昨年より学び、考えてきたので、

私の中で、ジェンダーの観点から望ましいと思われる社会の姿が見えてきました。

来年は、その学びからの信念に基づいて、相手が誰であろうと、言うべきことを

その場で、少なくとも今よりは言えるようになりたい。

そして、ジェンダー含め、本から得た学びを、こうしてまた読書記録として綴って

いきたい。

多くの人に影響や共感を与えたりするものではないかもしれないけれど、それが私の今

できること、やっていきたいことだ、と本作の女性たちが気づかせてくれました。