Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 39th Book> 存在しない女たち ~男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く~

開眼とはこのこと。

世界が男性優位社会のであることのエビデンスと言っても過言ではないでしょう。 

「客観的」とは?「常識」とは?「普遍」とは?

全てが男性の特性によってデザインされていたら、それらは文字通りのそれなのか。

 

「存在しない女たち 

~男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く~

河出書房新社

著:キャロライン・クリアド=ペレス 訳:神崎 朗子

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https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309249834/

 

公共交通機関・道路が、自動車自体の設計さえ、男性の身体的特徴や、有償労働のみ

を主眼にデザインされていることを知っていましたか??

ホルモンバランスによって日々の状態が変わる女性の身体のメカニズムが煩雑すぎる、

という理由で、医療技術や薬の開発治験から外されていることはどうでしょう?

歴史的偉人のほとんどが男性であることに気付いていましたか?

(そのほとんどが女性の無償ケア、無償労働の元に成立している。)

「優秀な人材」とされるのは多くが男性で、”優秀な”男性と同様の言動を女性が行った

場合、老若男女から問わず、女性はネガティブな評価を付けられやすいことは?

あなたが参照しているそのウェブサイトページのアルゴリズムが、無視されている

データ(すなわち女性に関するデータ)セットを学び続けていることによって、

どんどん不平等化を促進していることは?

感覚的に知っていることもあれば、そうでないこともあるでしょう。

上述した以外にも山ほど、もうそれは山のようにたくさんの事例、データがあります。

そして、必要なデータが無い。

上述事例からわかるものもありますが、データ収集方法自体があるバイアスに基づいた

ものとなっており、対象に偏り(男性のみ)がある状態となっている事例もたくさん

紹介されていました。

仮にデータ自体があっても、それが正しく着目され、活用されていない事例も。

本作額面通り、まさしく、女性が存在しないものとして社会が構成されているのです。

正直、これまで、女性の企業役員、女性政治家の存在の重要性、影響力の大きさを、

本作に触れるまで、しっかり理解していませんでした。

リーダーとなるところ、何かを牽引していくポジションに、女性が相当数いなければ、

いつまでも女性の声が聞かれることはなく、女性は無きものにされてしまう。

それが、各章の数多くの事例、データで示されていて、言葉を失いました。

 

 

この1年以上、フェミニズムについて学んだり、考えたりしてきましたが、

まだまだ、まだまだまだまだ、私の中でも男尊女卑的思考や慣習に気付かない、看過

してしまうくらい、それはもう強力な洗脳、刷り込みが30年間で為されています。

ぜひ読んでほしい 「男尊女子」の感想でも書きましたが、そもそも男尊女卑的思考を

当然のものとしてあまり持ち合わせていなかった私は、社会ではそれがもう大文字の

”是”であることに苦しんでおり、かつ、そのルールにうまく追随できない自分に嫌気

が差すことばかりでした。

だけど、私の生活の基盤を為す社会では、そのルールは紛うことなく”適正”であり、

そこにうまく乗れない限りは、光り輝く将来なんて、想像できるものではありません

でした。

この文脈における”女性”としての優等生にはなれませんでしたし、なれる気も全く

しないし、フェミニズムを勉強し始めたのだから、なりたいとも、もはや思いません。

でもだからこそ、その「ルール」が本当に「適正」であるのか、と疑う視点を、

もっと早く、子どもの頃からとは言わずとも、あと数年でも早く持つことができて

いれば、という無念さを、本作を読んだからこそ、感じずにはいられない。

 

 

ついこの間、初めて、明らかにフェミニストではないであろう男女複数人に対して、

「私、フェミニストなんです」宣言を会話の流れでしてみたんです。

そもそも男性に対してそれを宣言するのは初めてだし、何人も男性がいたし、

普段からそういう話は一切しない人たちだったから、ちょっとそわついて、妙な緊張感

を持ちながら。

 

クリアド=ペレス氏の経験談フェミニズムというイデオロギーに目がくらんで、

世の中を客観的、理性的に見ることができない、客観的な常識の見方ができないのだ、

と一時付き合っていた男性から言われた)にもありますが、特に日本人社会では、

均一化、同一化、つまり同調圧力が強いため、その狭い範囲の「常識」を共有している

前提で会話が進みます。

要するに、日本人間で共有している感覚として、この彼の言う、「客観的な常識の

見方」が、より絶対的で強固なものになり得る、ということです。

日本人間で繰り広げられる多くの会話が、イデオロギーは既にその均一化、同一化の

洗脳によって”絶対的に共有されているもの(=常識)”という前提で進むので、

会話のトピックとして話題に上ることがまずなく、抽象的な内容にはなりにくい。

もちろん、(ここが私の苦しみですが)その「絶対的普遍的イデオロギー(=常識)」

に共感、同調せずとも、共有はしています。

(個人的には「イデオロギー(笑)」「常識www」って感じですが。笑)

従って、元から空気を読んで会話を進めることに価値観を見出せない私は、幼少期から

必死で得てきたスキルにより、その場の空気を壊さないように会話を進めることも、

可能ではあります。

ですが、宣言をした私に対して「議論好きなんだね」という感想があったことも、

普段はあまり社会生活を送る上での利害から不特定多数には見せないようにしている

ということ、また何より、会話が(議論となり得る)抽象的なトピックには基本的に

ならないものである、ということを象徴しています。

 

多くの日本人活動家が声高に主張をし続けてくれていながらも、フェミニズム自体が

その「絶対的普遍的イデオロギー(=常識)」に包含されず、認知や理解が浅いことは

感覚的に察知していたので、フェミニストが何かわかっていないという反応も、認知や

理解がある人には、多少煙たがられるものである(もしくはそう認識されているという

反応がある)という、想定はしていました。

(言うまでもなく、クリアド=ペレス氏がフェミニストについての知識がある当時の

パートナーと議論になった内容より、明らかに数段下層部分の議論にしかならない。)

 私がフェミニストであるという事実は、「絶対的普遍的イデオロギー(=常識)」枠

から外れるということになりますね。

 

幼い頃から女性としての生きづらさを感じ、1年以上フェミニズムに対して遅々とした

歩みながらも勉強してきた私と、これまで自分の優位性、もしくは劣位性に無自覚で

生きてきた人たちのギャップを埋めるのに、「私はフェミニストです」の一言で

伝えられるものなんて、これっぽっちもありませんから、それが何なのか、本来

あってほしい公平な社会はどんなものか、ということを、感情的にならない、

ならせないようにしつつ、説明しなければなりません。

可能であれば、私がなぜフェミニストであり、どのような立場のそれなのかも併せて。

言ってみれば、突如自分で作り上げてしまった、研究発表会でしょうか。笑

 

そのできは如何に、と問われれば、散々でした。。。

 

第一に、インプットしてきた内容が自らにしっかり定着していなくて、アウトプットが

上手くいかなかったため。

知っている。理解している。けど、心からわかっていないんです。

30年の刷り込みが消されないし、上書きされない。

だから、彼らとの会話の中で、私が抱えている女性性についての葛藤が更に明らかに

なり、自分が普段やっていることや、密かに抱いている希望や欲望は、(自覚的、

無自覚的問わず)ミソジニーの男性が女性に対して日々思い、行っていることの、

単なる逆バージョンなのではないか、男性に対して私は人間としての敬意なく接して

しまっているのでは、と疑心暗鬼モードに入りつつあります。

 

第二に、周囲と私の興味の範囲の違い、としか言えないですかね。笑

私が東南アジアにいながらゴルフに全く興味が持てないように、これまでの社会構造に

よるジェンダーロールに、違和感も苦しみも感じずに生きてこられた人たちには、

煙たがりはしても、興味の持てる話ではないので、私がゴルフの話をされるのと

同じくらい会話が上滑りするのは仕方がない。

ゴルフにおいてのマイ・ルールとか主義とかを、語られたり、聞かれたりしても

困ってしまいますからね。。。

(とはいえ、ゴルフは人権問題ではないから、私が興味を持つ必要はないけど、

ジェンダー問題含め、現在、政治的、社会的に語られている問題は、人々が生きる上で

人権に係るもので、今を生きる者は、後世に悪い慣習を残さないようにすることが

生きる意味のひとつだとすると、軽視すべきではないということは、あえて主張させて

ください。

 

だから、会話が滑りに滑って、キャッチボールなんてとてもじゃないけどならなくて、

ルッキズムミソジニー的流れになってしまった(もちろんそれを指摘できるものは

その場でしましたが)ので、うまく言語化して会話をできなかった自分への苛立ちしか

出てきませんでした。

 

今までフェミニズム作品に多く触れてきて、それこそ古代ギリシア・ローマ時代

から培われてきてしまっている”社会構造”がおかしいことは、もう自明の事実です。

本作では、それこそ今の社会構造枠で言えば、いかにも”男性が好きで得意分野”で

あろうデータで、それが気持ちが良いほどに証明されています。

ただ、本作の著者が女性であるために、これらは軽視されてしまうのだろうか、、、

という懸念が拭えないほど、この男性優位社会は欺瞞に溢れていることがわかります。

もはやミイラのミイラ取り的議論に発展しそうですが。。。

論文に近い作品ですので、必ずしも読みやすいわけではないですが、少しでも、

たった1章の1部でも読んでみれば、驚きのデータ、事例に遭遇します。

ぜひ読んでみてください。