Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 41st Book> 私たちにはことばが必要だ ~フェミニストは黙らない~

フェミニズムとは何か、勉強すればするほど、その上で人とコミュニケーションを

取れば取るほど、自身の内外に葛藤が生まれていました。

その息苦しさへの対処の仕方を教えてくれる教科書でした。

 

「私たちにはことばが必要だ 

~フェミニストは黙らない~(タバブックス

著:イ・ミンギョン  訳:すんみ・小山内 園子

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tababooks.com

 

韓流ドラマが流行り始めた約20年弱前、韓国の家父長制は、日本よりも強固なものだと

知りましたが、いつからか、女性の人権に対しての注目が大いに為されるようになり、

ジェンダーギャップ指数からしても、日本は大幅に遅れを取ってしまいました。

そんな韓国からまた素晴らしいフェミニズム著作です。 

 

ほぼ全頁に付箋を貼り付けてしまう羽目になりました。笑

そのくらい、平易な言葉でわかりやすく、大事なことがたくさん書かれていた。

最初から、多くの人に読んでほしいために書いた本じゃないから、セクシストで

ありたい人は読んでくれるな!という注意書きがあるのは大変斬新でした。

世の中にはセクシスト(=性差別主義者)で溢れています。

フェミニストであるあなたが、そうで無い人とどのように接していくか、反対に、

フェミニストでありたいあなたが、セクシストからどう脱却するかを学ぶのに

非常に良い教科書だと思います。

私なりに、また概要をまとめました。

 

*その人たちと、そもそも会話をするか否か。会話に応じる必要はない。

片側だけに相手の意図を汲み取る忍耐や配慮を求められるような対話は対話ではない。セクシストと話をする義務は必ずしもないということ、断固たる態度で断る訓練が必要ということが、繰り返し述べられていました。

 

*会話をするとしたら、自分と相手のスタンスは何か。

セクシストなのか、フェミニストなのか、選択肢はひとつだけ。

世の中に性差別が存在しないという主張をする自由がないということは、ここできっぱり書かれており、性差別前提でそれを放置する(=認める)か正したいか、いずれかの姿勢で、どのような対話が進められそうか、ということになります。

 

女性嫌悪とは何か。女性嫌悪と男性嫌悪は断じて同等ではない。家父長制に起因。

女性性を劣っているものとする見方、「女のくせに」と思う場面、女が女でいるべき枠から飛び出そうとしていることを咎めることは、女性嫌悪です。一例で言えば、政治家の森氏の「女性がいると会議に時間がかかるけど、うちの委員会の女性たちはわきまえているから」という趣旨の数カ月前の発言は、完全なる女性嫌悪ですね。そして女性嫌悪に対して、耐えかねた女性が(わきまえずに)声を上げ始めると、男性嫌悪もあるじゃないか、と男性側がピーピー言うわけです。女性側がどれだけ長くの間、虐げられていても無視を決め込んでいた男性が、俺達だって辛い、とヘイトにだけ反応する。そもそも差別が前提になっていないし、女性に矛先を向けることは間違っています。その男性たちにも”つらーい”制度、家父長制を作り、是としてきたのは、男性なのだから、まずそこから見直さないといけません。「どっちもどっち」はありえません。

 

こうした基礎的内容から、いざセクシストと会話を進めるとしたら、どのように

会話ができるか、実践的な内容も説明してくれています。

 

以前、フェミニストではないであろう男女数人に、私はフェミニスト宣言をした経験を

「存在しない女たち」のレビューで書きました。

①自分の理解・経験不足 ②周囲と私の興味の違い の二点により、結局、女性嫌悪的な

話の流れを助長したり、それをうまく否定できなかったことに、後悔した体験でした。

本作に触れて、あの時に既にこの本を読めていたら!!!!と思わずにいられません。

 

私はあのとき、周囲に忖度しすぎていた。

一応、会話の流れでフェミニズムとは何か、というような概要説明的部分もあった

にも関わらず、それを私は、教えてあげる立場ではなく、聞いてもらう立場で話して

しまっていました

感情的にならずに丁寧に説明してあげないといけない、と思い込んでいたのです。

自分から宣言してしまったから、というのもありますが、感情的になっても、

丁寧でなくても、相手が聞く耳を持たないのなら、私はそこまで配慮する必要は

なかったのです。

そこまで配慮しても、「どうしてそんなに尖っちゃってるの?」なんてコメントを

頂戴してしまいました。

私の女性としての経験とフェミニズムの学習は軽視されており、彼らにとっては、

女性差別があることに特に問題は無いという意思表示だったのです。

私はそれ以上、うまく話すことができなくて、あまり話せませんでしたが、私の経験を

軽視される流れに引き続きなっていたのであれば、話せなかった結果は悪くなかったの

かもしれません。

私がまだまだ勉強不足、というのはそうですが、そのうまく話せないメカニズムと、

必ずしも話す必要がないということを教えてくれたのが本書でした。

 

「だって、失礼だけど、男好きでしょ?男好きなのにフェミニストなんだ」

とのコメントもありました。

これに関しては、フェミニズムが主ですが、それでも個人的な感情や葛藤が絡んでくる

部分もあるので、まだ自分の中で消化できていませんが、これもやはり、フェミニスト

であるからこその、男性嫌悪は一部あると思います。

男性の女性嫌悪、つまり、女体好きの女嫌い、の逆バージョンですね。

本作にも、ヘイトをヘイトで返すべきか、というような議論があり、私個人的には

あまり好ましい方法ではないのですが、実際にやってしまっているのかもしれない。

 

今回、多少心無いコメントをされたし、ひょっとしたらセクシストだからといって

彼らを嫌いになるわけではありません。

むしろ、好きだからこそ、分かり合いたいし、私のスタンスは分かってほしい。

なかなか切ない一場面で、まだまだ本作に基づいて勉強と実践をしていかなければ、

と感じました。

 

私自身、いま、セクシストからフェミニストに華麗に変身すべく勉強中。

そもそも、世の多くの人間が、自分がセクシストであることを自覚していません。

そのくらい、性差別は私たちの生活の細部にまで根付いています。

特に女性である私がしてしまう女性嫌悪なんて、まさしく必読!としつこく言っている

「男尊女子」思想です。

本書でも書かれていますが、女性嫌悪的考えや感覚を持たない人間は、男女問わず

いますし、それに自覚的であるか、無自覚かでは大違いです。

フェミニストでありたい、と思い始めてから、生きづらくなった、と感じます。

だけど、この思想に触れてから、それでも不思議と、セクシストとして生きていきたい

と思うことは一切ありません