Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 49th Book> 地球星人

大好き♥!とはならない作品だけれど、友人知人の皆さんに是非とも

読んでみてほしい、そして感想を聞きたい本、ナンバー1かもしれません。

 

「地球星人新潮文庫著:村田 沙耶香

f:id:kanaebookjournal:20210723211414j:plain

www.shinchosha.co.jp

 

村田氏の作品は、「丸の内魔法少女ミラクリーナ」「授乳」「マウス」

読んできました。

芥川賞受賞作の「コンビニ人間」も読まなければ。

本作は、読者を引き込む、読ませるのも上手い作品でもあります。

と同時に、何とも現代社会へ挑戦的。

「丸の内魔法少女ミラクリーナ」のときにも感じたのですが、村田氏の想像力、

発想力に瞠目せずにはいられない。

我々が、当然の真理だと思っているもの、覆せない事実、真実だと思い込んでいる

物事に対して、鋭く切り込んできます。

恋愛って?生殖って?人間として、いきものとして生きるって?

エンディングが、個人的に衝撃を受けました。

でも生物としての種を絶やさないという観点からは、腑に落ちる。

あまりの吃驚と、膝を叩くほどの合点具合という、めったに同時進行で感じる

ことのない心地が一度に襲ってきて、何とも言えない(決してネガティブではない)

不思議な読後感でした。

就寝前に読み終わったからか、夢に出てきた。笑

 

奈月と由宇は、小学生の頃、お盆に長野の山奥、秋級の祖父母の家で毎年再会し、

仲の良いいとこ同士でした。

家族からも世間からも、何となく浮いていることを幼心に自認している二人は、

ある夏、密かに結婚の誓いを立てます。

その中には「なにがあってもいきのびること」という約束もありました。

ふたりが行ったあることがきっかけで、親族の大人たちの逆鱗に触れ、

奈月と由宇がそれ以降、お盆に再会することはありませんでした。

家族から監視し続けられつつも、大人になった奈月は、監視網から逃れるためにも

ネットで出会った智臣と結婚しました。

その婚姻関係は、身体的接触は一切ないもの。

幼い頃から、自分は魔法少女であり宇宙人であると思っている奈月は、そのことも

夫に打ち明けており、彼も社会に馴染めずに育ってきて、いたく共感しています。

地球星人の住む「人間工場」では、労働し、新しい命を製造しなければならない。

その「工場」の部品になりきれないこの夫婦は、智臣の七つ目の会社の解雇が

きっかけで、秋級を訪ねることになりました。

そこで居候しており、もうほぼ地球星人と化した由宇と、奈月は子どものころ

以来の再会を果たし、物語が進んでいきます。

 

 

自分が宇宙人だと思うほどの度合いの違和感を感じることは、幸い(?)

ありませんでしたが、何度もこれまでも書いてきているように、自分が

明らかに”マイノリティ”だと感じる側面は多々ありました。

比較的幼い頃から、実体のない権力や権威に惹かれることはなく、むしろ、

嫌悪感のほうが大きかったかもしれません。

あの実体のなさが、私には不思議だったし、気色悪かったんです。

あまりに感覚的すぎる権力や権威が、色々なことを支配していて、誰もそれを

疑わない状態が、理解できなかった。

”何となく”が常態化して、常識化している感じが時々怖かったし、その違和感を

共有できる人がいないことも、心細かったです。

(今では、その”何となく”も構造的に作られてきたものが多数であることを、

フェミニズム含め、少しずつ勉強してわかるようになってきたつもりですが。)

それでも、その実体のない権力や権威があれば、もしくは、それに阿ることが

できれば、社会に「所属」できると思っていた。

「所属感」への憧憬の念が、常にありました。

そういう点では「工場」から洗脳されて、地球星人になって楽になりたがる

奈月と一緒です。

嫌悪しているものが一番手っ取り早い手段で、欲しいものへ導いてくれる。

そのジレンマに常々、板挟みになっていてしんどかったし、未だにそれに

悩まされることが時々あるほど、「工場」と私という「個」の間で揺さぶられます。

 

 

本作は、社会が変わらない「工場」のままだから、人間側が変わろうとした、

というお話でした。

人間という生き物として、もっとも合理的で幸せな形に進化した、というか。

でも私はどうしても、理想論者であることをやめられない。

「工場」が「人間の共同体」へと変化してほしいという願いを捨てきれません。

私の子宮が、人間製造機だという前提にならない社会。

私の価値が、稼いで所持する貨幣で決まらない社会。

「なにがあってもいきのびること」が生きる目標にならない社会。

本当に「工場」になりつつある現社会へ投じられた、センセーショナルな一作です。