<The 62nd Book>嘆きの美女
外見における美醜については、多くの人がパラドックスを抱えて生きているのでは、と思います。
自分のコンプレックスに、やけに向き合わされてしまいました。
「嘆きの美女」(朝日新聞出版)著:柚木 麻子
主人公の池田耶居子はいわゆるニートで、ネットの荒らし屋です。
特に彼女が着目しているのは「嘆きの美女」というサイト。
複数人の美女たちにより更新されており、数々の美女ならではの悩み等がシェアされています。
そのサイトを逐一チェックして、辛辣なコメントを書き込んでいく耶居子。
美女たちを一目見て本当に美しいのか確認してやろうと、相当ぶりに外出したと思ったら、大事故に巻き込まれ、事の流れで美女たちが住む家にで治療&居候することになります。
美女たちは実際に美しく、しかもサイトの管理人は、かつては親しかった小学校の同級生のユリエという始末。
卑屈で強情な耶居子は、最初こそ美女たちとの生活に辟易していましたが、彼女たちと寝食をともにし、仕事も手伝うことになり、美女たちの実態、自分自身の変化に気づいていきます。
耶居子の成長と環境の変化に伴って、親友だったユリエとの関係、ほか美女たちとの友情も見どころです。
知らなかったけど、ドラマにもなったんですね。
耶居子役であった森三中の黒沢かずこさんがあとがきを書いていました。
改めてなんだけど、柚木さんは、食べ物がたぶん本当に好きだと思う。笑
私も食べ物大好きだから、食レポか!レシピ本か!って思っちゃうくらい、食べ物の描写がたくさんあって、食欲をそそるのなんのって。笑
あと「BUTTER」を読んだ時もそうだった。
そこに出ている食べ物、すべて試したくなるし、食べたくなるんだよな。
本作に関しては、スナック菓子含む食べ物もそうだけれど、アニメや漫画も相当読まれたり研究されたんだろうな、と思っています。
アニメ漫画好きな人にも、本作はおすすめかもしれないです、私はわからないけれど共感ポイント多いのかも。
あと、やっぱり描写がきれいで上手い。
ストーリーを進めつつも最初の3ページくらいで、耶居子がどんな見た目でどんな人間か、読者の頭の中に情景が浮かぶように描写されている。
各登場人物の感情描写もいうまでもなく、言語化がしっかり為されています。
耶居子が途中で気づいたように、自分らしさ、自分の心の見せ方が、いわゆる外見(ファッション含む)に反映されるのだと思います。
なにより、そのためには自分で自分の魅力に気づかないといけない。
自分がどういう人間か、自分の心に向き合わないといけません。
そういう女性は、「美人」ではなかったとしても、とても綺麗です。
私も3~4年前までは「不美人」で、綺麗ではありませんでした。
子供っぽくて垢ぬけなかった。
「不美人」だったのは、単に太っていたから。
自分で言うのもなんですが、たぶん私の顔立ちはある程度「整って」います。
だからか、太っていた時も、見た目に関して、私自身は別にそこまで気にしていませんでした。
顔立ちもそうだけど、自分のことに限らず、何より外見以外の部分に価値基準の比重を重く置いていたから。
いま、前よりも「美人」で綺麗になったと思うのは、瘦せたから、というのもありますが(とはいえ全然まだ太っているけどね)、それは結果でしかなく、自分の身体をケアしようとしているからだと思います。
健康でいよう、と思うようになったから。
今も、心身のバランスをとることにとても気を割いている。
大好きなケーキを食べることによる身体への負担、食べることによって得る満足感、食べてしまったことによる後悔、身体にかけるコストと心にかけるコストのそれぞれの割合とそれらの総数が、食べた時と食べなかった時で、どの程度変わってくるだろうか。
簡単ではないけれど、だからこそ、そんなことに常に気をまわしています。
かつての私は、傍若無人に自分を扱っていたのでした。
だから、子供っぽくて垢ぬけない、「不美人」で綺麗ではなかったんだと思います。
時々羽目を外すことはあるけれど、それでも今は、自分を慈しむようになった。
かつては全くなかった、「美人」「綺麗」といった他人からの言葉も、今は恐れ多くも耳にする機会は増えました。
だけど、結局、自信は自分から出てくるものなんです。
私自身はそこまで気にしていなかったのに、私の顔や身体を持たない、私ではない人間たちがうるさく言っていた。
「身内だから、愛情だから」という甘えからくる親族のからかいの言葉、幼さならではのストレートであからさまな陰口。
「女の子」の構成要素として見た目が重要であることは、小さいころから嫌というほど随所で感じていた。
この子は縦じゃなくて横にばっかり成長するから。
あんたは「美人」じゃないけど「チャーミング」かな。
単なる愛情でもつらいよ、お父さん。身内だとしても、あなたは私じゃないでしょ、おじさん。また「デブ」って陰で言われたな、今日。
本当は毎回傷ついているのに、それを毎度、笑ってやりすごさないといけなかった。
やりすごせなくて、たまに泣いてしまうこともあった。
泣くと、また笑われて、努力しろ、となじられた。
私の顔や身体が彼らの所属物かのように言われるのが許せなかったし、とにかく理不尽で、怒りと悲しみでいっぱいだった。
笑ってやりすごそうとする度に、私から、自信が失われていったんです。
たった小さい一言の、大量の蓄積が、いまだに私の心を巣食っている。
自分自身は気にしていないことなのに、「お前はこれを気にしなきゃいけない。美人で細くて可愛くなければいけない」と、何度も何度も言われた。
私にとって、最重要事項ではないことなのに、私が自分の見た目を気にしないのはおかしいことのように言われた気がした。
何を気にするかは、私の勝手。他人に、私が気にするべきことを指図する権利なんてなのに。
そうして侵害されて、失われた自信は、いまだに完全に取り戻せていません。
食べるものや運動から、自分の身体をケアするようになったのは、単純にもう病気になりたくないから。
たまたま痩せて、前より「美人」で綺麗になって、そういった言葉を他人から、特に男性からかけられるようになった。
その他人からの褒め言葉を、いまだに喉から手が出るほど待ち望んでいることがよくあるんです。
「美人だね」「きれいだね」「かわいいね」
ただ単に、リップサービスで言っているだけなんでしょう。
でも、もう一回言って!もっと言って!ねえ、私ってかわいい?きれい?美人?
他人の言葉によって奪われた自信を、また他人の言葉によって取り戻そうとしている。
この考え方、相当歪んでいるし、不健康なんですよね。
わかっているんだけど、こと外見や見た目に関しては、まだどうしても他人のせいにしておきたい。
この歪んだコンプレックスは、私の美醜の判断基準にもすごく影響しています。
私は異様に面食いらしい。
黄金比を気にする。
芸能人も、ほとんど綺麗とも可愛いともイケメンだとも思えません。
顔立ちの美しさにこだわります。
きっと、私が唯一、自分の見た目でそこまでおかしくないと思えるものだから。
「チャーミング」じゃだめなの。「雰囲気イケメン」じゃだめなの。
圧倒的な美人がいいの。圧倒的なハンサムがいいの。
幼いころから、画一的な「かわいい」「美しい」「ハンサム」など身近な社会から押し付けられてきた。
その基準の中で、私は一番「正しい」在り方として、その最上級版を求めているだけなのに、それは求めすぎだと批判される。
もう正直わけがわからない。
正解が存在しないものに、無理やり正解を付与して私に押し付けてきたから、その社会通念にこちらが合わせてあげて、最上級の正解を示して求めることにしたのに、それの何がいけないの?
私は本当に理不尽なことへ、いまだに耐性がありません。
自分の見た目へのコンプレックスと、人の美醜に関する自分の見識には一生悩まされることでしょう。
プラスサイズモデルのことを美しいとも思う。
マニッシュな女性も美しいと思う。
ドラァグクイーンも美しいと思う。
それは、生き様の美しさ。
私が前より綺麗になったのも、きっと少しずつは成長して、生き様を良くしようとしているから。
見た目に異様なコンプレックスを感じながらも、世の中の画一的な「美」以外にも美しさを感じられる自分を好きになれたことが、私の小さな救いかもしれません。
見た目にコンプレックスを抱く私ですから、耶居子の異様な美女嫌いの気持ち、よくわかって共感の嵐だった。
耶居子は美女たちが「美人」であることを認め、僻んでいました。
でも反対に、美女たちは耶居子の「自分らしい生き様」に気づき、羨望の目で見ていました。
人間の「美しさ」には、様々な側面があることを、本作の登場人物は教えてくれています。
私は好きな俳優ばかりで映画を観るけど、やはり本もそうみたいで、好きな小説家ばかり読んでしまいます。
まあ、みんなそうか。笑
柚木麻子さん、もう結構に読んできた気がします。
このブックレビュー始める前から、「この本よかった!」って思うのは柚木さんの作品が多かった。
まだ読めていない作品も結構ありそうだから、読んでいきたいな。