Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 65th Book>黄色い家

豪快で壮大なんだけれど、すべてが繊細。

ストーリーは読者を引き込む勢いが凄まじく、登場人物、特に主人公の感情は痛いほど伝わってくるのに、文体が優雅にすら感じられる。

久々に心打たれる小説を読みました。

 

「黄色い家中央公論新社著:川上 未映子

www.chuko.co.jp

 

物語はコロナ禍、40歳前後の花が、黄美子さんの刑事訴訟の記事を見つけたところから始まります。

花は、東村山市で育ちました。

父親はいつの間にか帰ってこなくなり、母親はホステスとして働いていました。

全く裕福とは言えない生活を送りながら、高校生になった花は、アルバイトに精を出していましたが、貯めていたお金をすべて盗まれてしまいました。

お金を稼ぐこと、働けば働くほどお金が貯まっていく、自立に向かっての第一歩としてやりがいを感じていた、真面目でまっすぐな花は、絶望します。

そのような中、数年前の夏休みに一度、しばらく面倒を見てくれた黄美子さんに再会。

母のもとを飛び出し、黄美子さんの住む三軒茶屋のアパートへ移り住み、一緒にスナック「れもん」を二人で始めます。

銀座のクラブで働いており上客を時々連れてきてくれる琴美さんや、何をやっているかはわからないけれどきっと怪しい仕事をしている映水さんの力を借りながら、近くのキャバクラで働いていた蘭、たまたま客として「れもん」に来た高校生の桃子をホステスとして受け入れ、「れもん」の営業は軌道に乗ってきていました。

「れもん」で働く4人は、生活も共にし、すべては楽しく、順調でした。

めでたしめでたし、というわけにもいかず、そこから花はまた何もかも失い再び絶望と焦りに苛まれながら、10代にも関わらず闇社会の道へ足を踏み入れ、波に呑まれていきます。

 

 

あらすじを書くに書けない物語だな、と書いていて思いました。

設定の緻密さ、闇社会や水商売の世界のリアルさ(私には正直わからないけれど、すごく真に迫って描かれている)、金とは何であるのか、各登場人物の置かれている環境とその重み、彼らの感情の動きとそれによる言動...

ページをめくる手が止まりませんでした。

そういう意味で小説としてのエンタメ性も充分なのですが、エンタメ云々ではなく、いちいち読者の感情を揺さぶってくるし、社会に問いも投げかけている。

 

 

私は、恵まれた生活をしてきています。

食べ物はおろか、学費に困ったこともなく、留学までさせてもらって、そのバックグラウンドを糧にして、今も生活に困らないくらいには自分で稼いでいます。

お金に困ったことは、本当に幸いなことにありません。

私の周り、家族友人等含め、出会う人たちは基本的に、同様の人が極めて多い。

その環境にいるということ自体、恵まれており、特権であるということを、大変恥ずかしいことながら、本当にたったここ数年で私は気づいたばかりなのです。

ページをめくる手は止まらなかったけれど、めくればめくるほど、心が痛む気もしました。

花のような、貧しい人たちへの同情がないといえば噓になる。

花のような生活をしなくて済んでよかった、という安堵を感じてしまったことによる罪悪感も否めない。

傲慢にも、自分は繊細な人間だと思っていたのだけれど、そしてそれは決して100%誤りでも確かにないのだけれど、でも少なくとも「貧富」という側面で社会や人の環境を切り取ったとき、私はとても鈍感になりえるかもしれないと思って、ゾッとしました。

私が普段、社会や政治に抱いている考えや想いは、ある程度恵まれているであろう私の周囲の人間にすら偽善に聞こえるようなことが多いことは自覚しているのだけれど、ひょっとしたらそれはまだ今の現状では本当にただの綺麗ごとなのだろうな、と思って悲しくもなりました。

16の時にアメリカへ10か月ほど留学して、貧富の差も見た気でいたのです。

高校に行けば養子として育っている子たちが一定数いて、他にもドラッグをやめられなかったり妊娠したりする子たちが学校にいたり、レイプをしたりされたりしてしまった人が親族にいたり、ベースメント付きの豪邸に住むホストファミリーがいれば、アパートの賃貸が払えなくて引っ越しに引っ越しを重ねるホストファミリーもいた。

日本ではありえない世界を見て視野が広がった気が、当時はしていたんです。

でも、親にお金を出してもらって留学させてもらえるような家庭に育って、日本にもあるであろうそういう世界を見ずに済んだ、お気楽な高校生だったというだけでした。

 

 

本作に、ヴィヴさんという闇社会に生きる女性が出てきます。

金の量はもとから決まっていて、生まれつき金持ちであることにも貧乏であることにも理由はなく、金持ちは一生金持ちで、貧乏は一生貧乏で、金持ちが作ったルールの社会で、金持ちも貧乏も生きている

といったような内容を、彼女は言うのです。

何度も何度も彼女のその言葉に目を走らせては、何度も何度も心をえぐられる想いでした。

わかっていたけど見たくない現実が、過不足なく明瞭に言語化されていました。

読みたくないけど、読まないといけないと思わされる言葉でした。

どちらかといえば、私は金持ち側にいるのだと思います。

そして、ヴィヴさんが言った通り、それは環境のおかげだ、生まれてきたところがたまたま金持ち側だったということにも、ここ数年で私は気づきました。

そしてここ数年、綺麗ごとだ、偽善だ、理想主義すぎると言われるような社会の実現を私は願っています。

その「綺麗ごと」や「偽善」が何を意味するのか、自分でもわかりきっていませんが、仮にそれが本当にそうだったとしても、少なくともその「綺麗ごと」や「偽善」の度合いを少しでも減らすために、絶対に忘れてはいけない内容のひとつが、このヴィヴさんの言葉だと思っています。

 

 

あらすじのみならず、感想自体も書くに書けない小説な気もしています。

人間は、ここまで複雑な感情を持てるものなのか。

それとも私が体験し得ない経験をしている登場人物たちの感情が鮮やかに描かれているから、初めて私が体験している感情なのか。

いずれにしても、感情を言語化しきらずとも、読者に鮮明にその感情を体験させてくれます。

相変わらず、脱帽の川上未映子さんの小説です。