Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 7th Book> 最初の悪い男

コロナウイルスが猛威を奮っているようですね。騒ぎすぎなのか、本当に脅威なのか。

私は4月にまた海外旅行へ行きたいと思っているのですが、頓挫させることにならない

ことを願ってやみません。

 

「最初の悪い男」(新潮社

著:ミランダ・ジュライ 訳:岸本 佐知子

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https://www.shinchosha.co.jp/book/590150/

 

正直わかりませんでした。

現実を見ずに済むよう、現実を生きないでいいように、自分の生活も感情も全て

システム化した、とある40代女性のシェリルが、職場の上司の美人で足の臭い

若い娘のクリーを居候させたことから、その生活や人生が一変していくお話。

職場の理事を勤める年上男性のフィリップに想いを寄せつつ、幼い頃に出会い

生き別れた赤ん坊(クベルコ・ボンディと名付けている)が我が手に戻ることを

日々願っている。

フィリップはティーンエイジャーに恋しているようだし、クベルコは毎回、シェリルの

元にいない赤ん坊に宿っている。

妄想と現実の描写がとても入り組んでいて、どれが妄想で、どれが実際に起こっている

ことの描写なのかを読み取ることがとても難しかった。

飾らない描写が多くてとても直接的だった。

日本語で読んでよかったです。英語で読んでいたら、本当に文字を追うだけになって

しまっていた気がします。

訳者の方、大変だったのではなかろうか。

直訳的表現が多かった気がするので、あまり表現の仕方は好きにはなれなれなかったし

原文を読んだわけでも、私は翻訳家でもないけれど、きっとこの本の翻訳は難しいの

だろう、と思わせる作品でした。

とても現代的な純文学。現代の純文学。

 

現実と妄想が、頭の中で綯交ぜになることはありますか?

頭の中で起こっていることが、目の前に見えることはあります?

私、とてもたくさん妄想をします。

たくさん頭の中で嘘をつくこともあります。(仮病使おうと思ったら本当に熱が出る

というような、自己暗示的な例ですが。)

過去に起こった楽しかったこと、未来に起こってくれたら嬉しいこと。

過去にこうしていたらもっと面白かっただろうか、未来にこういうことが起きたら

こんなことを言おう。

私もシェリルのことは言えない、あまり現実を生きていないのかもしれません。

バンコクへ来て最初の一カ月、瞑想教室へ通ったのですが、その時の教えは

もう全く活きていませんね。笑 

また通わないとな、と思いつつ、足が遠のいています。

実際に起こったことでも起こってないことでも、それが前向きな内容でも、

現実に目の前に起きていないことは全て虚構である、という概念でした。

現代の人間は、虚構の中で生きている。

でも本来、人間含む全ての生物は、歓びのみで構成されている普遍的なuniverse

生きているはず。

生まれてから今までの様々な環境によって形成された自らのmindが、虚構を造り出し、

真であるuniverseを見る目を曇らせている、と。

ルー大柴語みたいになっちゃった。ルー大柴には何とも思っていませんが、実際に

ルー語を話したり書いたりする表現は好きではありません。

なるべくカタカナを避けた表現を心がけています。が、今回は私の訳語能力不足で

うまく日本語にできません。)

この考え方は、私はとても好きです。

大学の法哲学で、先生が図解しながら解説してくれたプラトンイデアを思い出した。

ポジティブな内容の妄想があるということは、ネガティブなことも妄想し得る。

その虚構を捨て、歓びで構成されている普遍的な真実に目を向けるという訓練をする

教室でした。

普遍的な幸せで満たされている真の世界を見出すことができれば、集中力も上がり、

自信に溢れ、日々の生活が充実したものになる、と。

自己分析も足りなければ、それ故か自己肯定感の低い私はきっと引き続き通うべき

なのでしょうが、虚構の世界で生きるためのスキルを多く身に付けてしまったので、

しかもそれを得る道のりは楽ではなかったから、それを手放すのが惜しい。

その技能が不要になるのが悔しい。寂しい。

きっと些末なことなのだろう、それでもしがみついてしまう。

虚構を造り出してしまうというmindこそ、人間味を増す要素なのではなかろうか、

自分のmindと他人のmindが合わされば、更に人間の旨味がにじみ出るのではないか、

それこそ昆布出汁とかつお出汁みたいに、とグダグダ言い訳をしているわけです。

シンプルなんて糞喰らえ、複雑が魅力では何がいけないのか、と思うわけです。

でもさ、かく言う私も、そんなに複雑な人間ではないんですけどね。

自分にできないだけで。

シンプルに生きるのが流行りなのか、本当にその方が幸せなのかは知らないけど、

不器用でうまくできないから、それに難癖つけたいだけなのかもしれません。

 

私は、シェリルと違って、虚構の現実と向き合って、その虚構の現実の中で

生きていくために社会性という技能を身に付けました。

協調性とか社会性とか、私は元からその性能が低く生まれ育っているから、

それを育て始める小学校生活、まるで軍隊のような没個性を求める中学校生活、

偏差値主義が身に染み込んで他人の評価を本気で気にし始める高校生活では、

苦労しました。

決まった数十人のクラス、その中でまた更に小集団ができると、居場所がなかった。

大学へ入学し、一度羽を伸ばすことができたものの、会社という組織に所属したときも

自らの協調性、社会性の無さが起因する自らの思考や態度等、なかなか問題児の

新入社員だったのかも、と今となって振り返ってみれば思います。

でもそのひとつひとつの過程で、学んだのです、私なりに。

私の「ものさし」と、他人の「ものさし」は大きく異なっていて、特に日本社会では、

その「ものさし」を誰ともなく均一化する働きかけが求められるということを。

息苦しいと思いながら、生きやすさのために、その均一化されようとしている

「ものさし」を理解しようと、それに自己を調整していきました。

結果、飲み会上手と言われたり、八方美人と言われるまでになった。

皮肉とも褒め言葉ともとれましたが、その時点で私は技能を身に付けたと確信します。

クラスに馴染めずに、いつもどことなく浮いていた私が。

すると、前まで自分が持っていたオリジナルの「ものさし」が、どこへ行ったか

わからなくなったりするんですよね。

自己の「ものさし」を統制された虚構のものへ調整するうちに、以前までは確実に

あった二つの別の「ものさし」が、段々とひとつになってしまうのです。

傷つきやすい繊細さだけを残して。

同じ虚構を生きるのにも、自己の中にしかない虚構を生きるシェリルと、

社会という実体性に乏しい集団が作り出した現実らしい虚構を生きる私と、

どちらがいいのだろう、と思いながら読んでいました。

虚構は虚構だ、真実でも現実でもないと言われればそれまでなのだけれども。

何度も生まれ変わって出会っていると思えるフィリップや、毎回自分ではない母親の

元へ生まれてくるクベルコがいて、それが実際に起こっていることであろうと、

そうで無かろうと、シェリルにとってはそれが真実であり、そこで幸せを求めようと

しているのであって、他人に迷惑をかけない範囲では、客観性を無視できるのも、

またそれは技能であり、能力なのではないだろうか、と思わされました。

端的に言えば、周囲には変人だと思われ得るほどの自己の世界を持ち、そこで

生きられる彼女が羨ましい。

他人に阿るということを知らない、しないってなかなかできないことです。

グラマーで破天荒なクリーと出会って、彼女のその世界観も大きく揺らぐ、というより

その世界観にクリーが臭い足でズカズカ入り込んでいったという感じだけれども。

自分が周囲に阿るのではなく、そうして自己の世界に入ってきてくれる人がいた

ということも、素敵だよね。

 

ネタバレというものになるのかもしれないけれど。米国はやはり進んでいますね。

昨日、同じく駐在員の女性のお友達と話していて、駐在員である私たちが想定外の

妊娠をし、出産する決意を仮にしたとしたら、会社は、日本の制度は、その選択肢を

尊重してくれるのだろうか、という話題になりました。

米国は養子縁組も普通だし、養子縁組のシングルマザーも普通。

米国交換留学中に、3人の養子を持った未婚のシングルマザー(自分の子供はいない)

と知り合いましたし、自分が養子だ、なんて友達は何人もいました。

もちろん、色々と問題は抱えやすいのかもしれないけれど、その選択肢が尊重されて

当然とされている。

今、仮に私が妊娠したとしたら、帰国を命じられるのだろうか。

タイで産休育休を取り、シングルマザーとして職場復帰するという選択肢は

与えられないのだろうか。

そもそも、それ以前に史上初のスキャンダルになっちゃいそうだよね、という結論に

至りました。

前例を聞いたことがないから仕方がないけれど、未婚のシングルマザーの駐在員なんて

きっとまだまだ先の話なのでしょう。

養子を取る未婚のシングルマザーも、まだまだ先の話なのでしょう。

それが、日本人女性に対しての現代日本社会の「ものさし」かもしれない、と思うと

やっぱり少し寂しくなりました。