Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 8th Book> 空気を読む脳

やはり外食続きよりは、自炊のほうがお腹の調子がいい気がします。

料理好きでも、上手でもないのに、なぜかキッチンに立つことが多いのが不思議です。

 

「空気を読む脳」(講談社+α新書)著:中野 信子

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http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000310633

 

新書なんていつぶりだろう。

きっと大学生の授業で読まされた日中関係の書籍以来ではなかろうか。

私の本棚にはほとんど新書はありません。

が、思わずタイトルに目を奪われ、手に取ってしまいました。

脳科学者の中野信子さんは、よくニュース番組のコメンテーターとして出ていた

イメージです。

日本でテレビで見かけていた当時は、超絶頭のいい女性学者以外に特に何も思って

いませんでしたが、好きなジェーン・スーさんとの対談が書籍にもなっていて、

その対談を読んで、彼女の脳科学者であるからこその人生の捉え方にも興味を

持ちましたし、脳科学という側面からの性格や考え方、大衆意識への言及にも

膝を打つ思いでした。

今回も、色々とヒントをもらえるかしら、期待しながら読み進めた次第です。

 

HSP(Highly Sensitive Person)というほどではありませんが、それなりに私も空気を

読みすぎてしまう、人の顔色を窺いすぎてしまう、人の心情や情況を深読みしてしまう

きらいがあります。

そしてそれに基づいて行動するようになったことは、前回も書きましたが、社会生活を

営むにあたって、体得したスキルだと思っています。

(私は後天的に身に付けたものとずっと思っていましたが、本書を読んで、そこも

正直曖昧になりました。先天的なものかもしれない。嫌な思いもしたし、努力した

つもりだったから、後天的だと思いたいのだけれど。)

でもね、いずれにしても息苦しいなあ、とちょうど思っていたところだったのです。

私が私として主張すると、出る杭は打たれるし、じゃあ押し黙っておこうとすると、

結局想いや感情を消化できないまま心内に抱えることになる。

だから、人の心情を慮りながら、自分の主張を通す方法(スキル)を学んできたつもり

ですが、いつも語数が多くなり、回りくどくなってやきもきする。

にも関わらず、「物言いがストレートだね」と言われることもあるし、時には自分でも

そう思うことがあります。

譲れないものに関して主張しない、という選択肢がないくらいには自我はあります

から、言わないことはできない。

けれど、相手に不快な想いをさせることなく、しかしながら自分のこの意思を、

言葉という道具を使って、いかに適切に伝えられるだろうか。

自分の知識経験を通して乗せた言葉が、相手の知識経験を通して、相手自身に伝わる

とき、相手の見ているものと、私が見ながら話しているそれは、同一、もしくは

限りなく類似なものだろうか。

その言葉を通じてそれを見て、感じても、相手は傷つかないだろうか。

人とコミュニケーションを取る際に、こんな言葉選びにいつも気を砕いています。

日本語も言葉も好きです。私が得た強み(スキル)は言語化かもしれません。

でも正直、空気を読んで、思考して、言葉をひねり出す行為は、疲れはします。

そもそも空気なんて読めなきゃいいのに、と思ったことは幾度どなくありますし、

未だにそれを本気で願う日もあります。

 

空気を読んで、それに対応できるならいいのです。

空気を読んで、自分の思うことが周りと概ね一致するとか、そもそも何も思わない、

とか、その「空気」に適応するのが上手い人はたくさんいます。

それが本書で書かれていた日本人脳の特性なのでしょう。

私も、その特性の一つの空気を読む力は人一倍持ち合わせているつもりです。

でもね、厄介なのはこの言わなきゃ気が済まないってやつね。今もそうだけど。

小中学生の間は、語彙が少ないから、婉曲な言い方も知らないし、苦労しました。

大人になって、自分が忘れていたエピソードを親や友達から聞かされた時は、

我ながら驚くことも多かったです。苦労するわけだ、みたいな。笑

私は、自分の時間を奪われるのが嫌で仕方がない子だったようです。

「なんで週末にクラスの子のマラソン応援しなきゃいけないの?

応援って、強制されるものじゃなくて、したい気持ちがあってするものでしょ?」

「私は自分の時間を割いて、家に帰って歌の音取りの練習してるんだから、歌の練習

する気ないなら、私もう音取りやめる。自分たちでやって。」

「どうして受験前に、卒業も見えてきたから、去年から不登校の男の子に手紙書こう

とか言うわけ?正直みんなそれどころじゃないでしょ。ずっと継続してやっていたなら

わかるけど、それって生徒の良心利用した、担任教師の怠慢だよね。」

我ながら可愛げのない、なかなか辛辣な中学生です。

当時と同じ状況になったら、今でも同じことは思うし、誰かに言うでしょうけど。

既に空気は読めていた。言ったら、周りから敵視されることも予めわかっていた。

今では言う相手や状況を選ぶ術を知っていますが、当時はその分別がありません。

ちょっと早熟だったのかしら、クラスメートたちからは常に一線を引かれている感覚は

得意技の空気を読んでわかっていましたし、寂しい気持ちも常に抱えていましたが、

最終的に馴染むということができずに終わった小中学校でした。

言わないでもやもやするのと、自分の意見を言って寂しい思いをするのでは、毎度

後者が勝ってしまう、当時から不器用でした。

でも当時は、自分に対して実直で誠実だったんだなあ、とも思います。

思春期真っ盛りの自分って思い返すとこっぱずかしいものですよね。

集団行動への苦手意識を抱いたのも、その思春期を経てでしょう。

協調性の無さへのコンプレックスも、未だに克服できていません。

時間に対する感覚も、今も変わっていない気がしています。

自分の時間を自分のために最大限に使いたい。(仕事の時間は最小限にしたい。)

お昼休みは1分も無駄にしたくない、多少携帯を触り、本を読む時間を減らしたくない

ので、12時ぴったりにはオフィスを出ます。

超絶多忙でない限り、周りがなぜ60分きっちり昼休みを取らないのか、私の時間が

阻害されない限りは好きにしてくれていいのだけれど、私には未だに理解が全く

できません。(私なんて取れるならもっと取りたい。シエスタしたい。)

 

善悪と美しさが混同される、との項目があったのですが、確かにそうかもしれません。

悲劇って心に響く美しさがありますよね。

すごく感情を消耗するので、元気な時にしか泣ける映画や悲劇は観ませんが、

得も言われぬ美しさと感動を呼び起こすのは、喜劇ではなく悲劇な気がします。

そして悲劇が起こるのは、基本的に、その主要登場人物が利他的だから。

「利他的=正しい=美しい」「利己的=誤り=汚い」というような処理を、種の存続

(社会性を身に付けて集団で生存を図る)脳がするという内容に納得もしたのですが、

なんとその脳の機能の疎ましいことよ、とも思うのです。

変に社会性を身に付けた(ている)私は利己的な人に魅力を感じます。

上述したように、譲れないことに関して言わないと気が済まないことが多い私は、

一見、利己的に見られがちなのですが、そして自分でそう思う言動も上述のように

時に散見されるのですが、譲れないものなんてそこまでそもそもない私は、「情けは

人のためならず」を自らに言い聞かせて、結局は動いていることが多い気がします。

日常の些細なことなんですけどね。

結局は自分に巡ってくるじゃないか、というのはそうなのですが、もっと欲求に

ストレートに、「これ欲しい!」「そんなの要らん!」で行動している人が何とも

輝いて見えてしまうものです。

なんだかんだ、人に合わせている自分を見つけて、その自分を認め切れない自分も

またいるのです。

フィクションでは、利他的が過ぎるくらいの話に心打たれるのにも関わらず、

実世界では自然にその利己性に基づいて生活をしている人を見ると、何とも魅力的に

感じられてしまうのです。

自身の利他性と利己性のバランス、みんなどうやって取っているのかな。

心地良い利他性と利己性の塩梅を見つけていくのが、ひとつの課題だなあ、と

思ったのでした。

 

エッセイでも小説でもない、論述系の書籍の感想文は難しいですね。

特に彼女は研究者だから、とても俯瞰的かつ公平な書き方をしているので、

感想を述べるために、本の内容を説明しようとすると、いわゆる「ネタバレ」、

というかもはや盗作チックになってしまう。

脳の仕組みでこうなっているから、こういうことはよく起こる現象なんだよ、

これはこういう物質が作用して、日本人には、女性に多い考え方、感情を

引き起こすんだよ、というような本来めちゃくちゃ難しいことを誰にでもわかるように

噛み砕いて説明してあります。

ああ、そうだったんだ、脳みそでそういう物質が出ているなら仕方ない、

人間として生存率を高めるための作用だもんな、と思いつつ、いやいや、私は

そんなものに惑わされたくない、そんな型にはまりたくない、その物質にチャレンジ

し続けて抵抗してやる!と天邪鬼に鼻息荒くなる自分もいます。

だってさ、幸福度が低いまま長生きなんて、、、私は嫌だよ。。。笑

幸薄く細く長くよりは、幸せ満ちて太く短く、が私の希望なんだけれど、

きっと私の文豪のようだと言われる性格上、無駄に長生きすしそうだな、、、溜息。