<The 63rd Book>世界と私のA to Z
どの世代の人間だから、が言い訳になるわけでも、とある世代生まれの人を一般化するのも、必ずしも良いわけでも正しいアプローチでもないかもしれない。
けれど、名前がつくこと、世代における傾向が見えることで、自分の抱える矛盾や葛藤が可視化されやすくなることも確かです。
私が抱えるもやもやを、本作が言語化してくれており、すっと胸のつかえが取れた思いでした。
「世界と私のA to Z」(講談社)著:竹田 ダニエル
Z世代とは、1990年代後半から、2010年くらいまでに生まれた人たちの世代のことだそうです。
ティーンエイジャーから20代中後半くらいまででしょうか。
まさしくこれからの世界を、日本を率いていく世代です。
彼らがいま、どのように世界を感じ、見て、どう生きていこうとしているのか。
音楽やファッション、恋愛など、主としてカルチャーの切り口から、人権や信仰等のトピックも交えつつ、彼らの抱えている不安、想い、考え方等を紹介してくれています。
何年から何年に生まれた人は必ずその世代で、その世代というのはこういう人!という明言はできない、と時折繰り返しつつも、各世代の社会的背景と、それに伴う解説も含めて、見事に分析してくれています。
各章のタイトルがすべて「私にとっての~~」で始まっていることも、本作に書かれている各世代の分析すべてが絶対というわけではなく、あくまで読者の感覚等への配慮からのタイトル付けなのかな、とも思われて、とても素敵です。
著者の竹田さんが、米国で生まれ育った方のようで、本作でZ世代として分析されている若者たちも、主として米国の若者のことが主のように見受けられました。
日本の社会や若者に、必ずしも完全一致する内容ではないかもしれませんが、傾向としては同様のものが見られるのではないか、とも思います。
デジタルネイティブとして、物心ついたころからインターネットやSNSが発達しており、簡単に世界と繋がることができた若者たち。
コロナなどで多感な時期をリアルでつながることが難しいながら、膨大な情報量に簡単にアクセスできてしまうため、視野はかつての若者よりも否が応でも広くなってしまう。
そして、不安定で暗い世の中で、入ってくる情報も、環境問題や人種問題、解決すべき課題が山ほどあることがわかり、将来への不安は煽られる。
そんな彼らが何を思い考え、どう人生を切り拓こうとしているのかを学ぶことは、住み良い社会を作るのにはどうしたらいいのか、を考えるにあたり有効な視点のひとつではないでしょうか。
素晴らしい気づきを与えてくれること間違いなしの本作です。
私は1990年前後だから、ミレニアル世代。日本で言えばゆとり世代。
ミレニアルど真ん中で、ゆとり初期。
だけど、本作を読んで、救われる想いになった文章がたくさんありました。
特に、第一章の「私にとってのセルフケア・セルフラブ」!
私がここ数年、思い続けていること、親しい友達には語り続けていること、
各人が、各人として自立して、互いを尊重する(侵食しない)こと
それをするために、自分を愛し、自分の考えや感情に自覚的であり、自分に対して誠実でいること
自分が自分でいることを維持することが、他人を愛し、他人に誠実でいられることだ
とずっと思い続けてきているのですが、類似のことをZ世代の多くがすでに考えているらしいと本章で私は読み取り、もう嬉しくて、救われた気がして涙が出ました。
「自分がどう見られるか」のミレニアル世代から、「自分が何を尊重し、どう考えるか」をファッションや、推し活で表現していくZ世代。
私自身は明らかに、ど真ん中のミレニアル世代より、Z世代寄りの考え方に近い気がして、そしてZ世代のそのトレンドに救われる気がして(←いろいろな側面で救いを感じるミレニアル世代は多いと思う)、ほっとしました。
と同時に、あと15年くらいは遅く生まれたかった、と安易に思ってしまったりもして。
昔から、セルフケア・セルフラブを自身の性格・性質として励行してしまう私は、幼少期や思春期は、特に日本の学校生活では本当に生きづらかった。
想いを漏らすと弱い子だ、世の中弱肉強食だぞ、と言われ、「弱音のつもりではない!私が理想だと思っていることを言っているだけだ!」と主張すると、わがままだと言われた。
傷つくことがたくさんあって、涙を流したこともたくさんありました。
でも、少なくともZ世代以降は、そういった傾向が減ってきており、私のような悲しみや悔しさを思春期で感じる人たちが少ないのだろう、と本作で知ることができたのは、本当に救われる想いでした。
とはいえ、私もミレニアル世代。
資本主義の波に飲まれ、いまだに大量生産、大量消費のプロダクトに魅力を感じてしまったり、スキニーパンツが楽で多用してしまったりします。笑
たくさんの切り口で語られているZ世代の価値観の多くに共感しつつも、やはり馴染み切れない感覚もあったりして、それが時代の流動的な、完全に断裁できない流れなのでしょう。
Z世代自身も、多くの矛盾を抱えていること、繰り返し語られています。
その矛盾の存在を認識し、肯定していくことが大切だとも。
矛盾の存在を含め、Z世代にはZ世代の悩みや苦しみがあり、それを肩代わりしてあげることはできない。
私自身は、不安定な先の見えない将来におびえることになるであろうことが見えていながら、そんな不安な想いをすることになるであろう子供を積極的に作りたいとは今のところ思っていません。
けれど、生まれてきた子供たちに罪はないのだから、彼らが住み良い社会を作っていかなければならないとは、常に思っているのです。
彼らが変えようとしている社会を、私たちも一緒に作っていきたい。
弱くてもいい、弱いところがあってもいい、それを自分も社会も受け入れられるような世界を。