Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 15th Book> 裸の華

タイでは普通にドリアンが丸ごとスーパーで売ってるんですね。

斧みたいな、鉈みたいなのがないと割れなさそうですが。

美味しいドリアンが食べたい今日この頃です。

マレーシアではドリアンが熟成して地面に落ちてから収穫するそうですが、

タイでは、木に生っている果実を収穫するそうです。

そんなの明らかにマレーシアのドリアンのほうが美味いに決まってるだろ!!!

って思いながら、年明けくらいにタイのマーケットで買って食べたドリアンは、

今までで一番、最高に美味しかった。

半年以上の在タイ歴となっても、未だにタイを全然好きになれないし、だから多分

もう、今後好きになることもあまりない気がしているのだけれど、美味しいドリアンが

あるかもしれないところだけは、許してやってもいいな。

 

「裸の華」(集英社文庫著:桜木 紫乃

 

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 https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-745849-7

 

日本にいる友人から勧められた一作です。彼女は本著者作品がお気に入りなのだとか。

足の怪我を原因に、ストリップダンサーとしての道を断たれたノリカは、

東京の地を離れ、ストリッパーとしての第一歩を踏み出した地元北海道に戻り、

今度は自らがオーナーとなり、ダンスシアターを開く。

年若いダンサーのみのりと瑞穂、腕利きのバーテンダーのJINの4人で開いた店は、

順調に客足を伸ばして経営は安定していくが、仲間と生活を共にして、ノリカの

心も揺れ動きます。

特に、卓越した技術力を持つみのり、愛嬌満載の瑞穂を指導するにつれて、踊りたい

気持ち、ダンサーとしての道を諦めきれない想いが、また起き上がってきたり。。。

ノリカの心情描写を中心とした周囲の人間模様も、何となく愛しくなるような作品。

なんかいい食べ物が無くて、ダンスシアター(バー)のお話だったから、最近家で

ちびちび舐めてる濃いめのハイボールと一緒に撮ってみました。

本当は本書でよく出てくるおにぎりでも作って載せようかと思ったのだけれど、

我が家には炊飯器が無いので、おにぎりが作れません。

在宅勤務が始まり早1カ月以上。

ひとりで家酒などほとんどしたことなかったのですが、とうとう始めてしまった。

けど、酒類販売禁止が続いているからな、、、いつまで続けられるでしょうか。

 

オープン前に、ノリカがみのりに振付を教え、ダンスを指導しているシーンの中の

ノリカの言葉で印象的なものがありました。

楽しくて踊っているのではなく好きだからやっている、と言うみのりに、

『あなたにとって好きと楽しいは同じじゃないのね』

と声をかけるんです。

これって、結構理解するのに苦労します。あまり経験がないからかな。

私の好きなものごとは、読書と、文を書くこと、美味しい物、それを食べること、

可能であれば日光を感じられるところで、散歩、ピクニック、プールでぷかぷか、、、

根を詰めてやることはひとつもないし、どれをしていても楽しいですね。

自分が能動的にすることにおいて、私は「好き=楽しい」です。

自分が楽しく感じなければそれはたちまち義務感に変わる。

きっと一生懸命、何かをすることを私が知らないからかもしれませんが。

悲しい曲調の音楽とか、物悲しい感じのさせる絵とかは好きですけどね。

楽しく感じる(=楽しい)と、その物事の持つ性質はまた違いますしね。

未だに実感できないから、この言葉はちゃんとは理解できませんでした。

 

なんかね、この本、とても読みやすいし、素敵なのだけれど、描かれている人たちが

とてもいい人すぎるんですよね。

出てくる人全員が、好印象を残す人物しかいないので、なんか綺麗なんですよね。

二十歳のみのりが、踊りも人柄も全部ノリカのようになりたい、って言うのが

わかるくらい、主人公四十歳のノリカが完璧に見えるのもわかる。

三十歳の私でも、自分が四十のときにノリカのようになれている、そもそもこんな

素敵で魅力的な四十歳いる?って思っちゃったり。

たしかに彼女の心象やその動きもしっかり描写されてはいるし、登場人物各人の

葛藤も描かれてはいるのだけれど、なんか清いんだよな。

サラっと流れてしまって、泥臭さも、汚さも、一ミリもないんですよ。

全員が大人なの。

人間的に完成していない、子供だ、とノリカが語るみのりですら、大人なんです。

誰も子供っぽさも、汚さのかけらもないんですよ。

全員がもとから善人で、更に善き人であろうと奮闘している感じだから、どうしても

ちょっと上っ面ぽさがあるというか、綺麗ごとっぽいという感じがするというか、、、

私がひねくれているだけかもしれないけれど。笑

人情には溢れているけれど、人間って本当はもっと卑しいよね、って感じがしたな。

私はそういう人間の汚い、卑しい、ドロドロしたところを見るのが好きです。

そこに人間らしさを感じます。

だから何となく本書については考察が深まらなくて、このブログも書き始めて、

はや一週間近く経ってしまいました。笑

 

これを書いている間、映画「バーレスク」を流していました。

ノリカのやっていたダンスシアターって、ここまで派手じゃないけど、

ストリップクラブじゃないという意味では、似たようなものだよな、と思い。

シェールとノリカの立場も被るじゃん、踊り子の育ての親的な、と思い。

この映画自体には思い入れも好き嫌いもありませんが。

でもクリスティーナ・アギレラのこぶしの効いた歌い方、好きなんですよね。

あんな風に圧倒的な歌唱力を持った人が、自分の声を轟かせて歌うって、もう

想像もつかないくらいに気持ちがいいんだろうな。

エクスタシー感じてるであろう歌い手が歌うと、聞いている観客もそれを感じる。

 

何年か前まで、仲の良い友人の好意と彼女のツテで、市川海老蔵さん主催の歌舞伎

ABKAIを毎回、とってもいい席で観劇させてもらっていました。

(単にいい席を早めの段階で取って頂いただけで、料金はしっかりお支払いして

います。)

元から海老蔵は好きなんだよ。

顔の話ですが。造形美に惹かれる私なので。人柄は知りません。

最後に観に行ったのはもう3年前になるでしょうか。

ちょうど小林麻央さんが闘病中で、亡くなる1日か2日前の回でした。

でも、あの美しい顔立ちを、更に引き立たせる隈取をした立役(男役)の彼が、

流し目を少しだけ絶妙な瞬間に、ほんの一瞬だけしたんですよ。

横を向いていた彼が、スっと観客席に視線を投げたんです。

流し目、と言えるか言えないかわからないほどの一瞬でしたが。

あの表情にはまさに恍惚としましたね。エクスタシーです。

舞台と観客席は段差もありますし、近めの席とは言えど、そんなに近くないんです。

でも彼の表情で一瞬世界が、時が止まるというのでしょうか。

視線だけで花が咲くというのでしょうか、その場がキラキラするというのでしょうか、

昇華?みたいな。笑笑笑

私自身、初めて「恍惚」というものを実感した気がしました。

そして、そのエクスタシーが、その一瞬で、たしかに観客席を伝播しているのも

感じました。

溢れかえる男の色気、ってやつでしょうか。

歌舞伎ファンというよりは、そういった伝統文化芸能に触れてみたい、といった

程度のものですので、歌舞伎役者の上手い、下手はわかりません。

けれど、あの視線だけで、「恍惚」状態を生み出せる彼は、確かに何かしらの

並々ならぬ才能があるのだろうと、地に足つかぬ心地で会場を後にしました。

あの視線は思い出すだけで、今でもドキドキ夢見心地です。

 

きっと魅せるとは、そういうことなのでしょうね。

ダンスでも歌でも、人柄でもなんでもいいですが、そういうことなのでしょう、

人を魅了するということは。

それって、ちょっとした武器ですよね。

自分も他人もそれに惹かれることもあれば、それに身を滅ぼされることもありそうな

気がします。

それだけの魅力となる何かを持ったことがないのでわかりませんが、その危うさが、

人を蠱惑するものなのかもしれません。