Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 45th Book> 説教したがる男たち

男性が何かを話しているときに、どうしても一歩引いてしまう自分がいます。

主張が強い、と言われがちなこの私ですら。

私の発言には価値がない、と潜在的な無意識下で思っていることがあり、

私自身が、自分の考えや発言を軽視している事実に傷ついています。

 

「説教したがる男たち(左右社

著:レベッカ・ソルニット  訳:ハーン小路恭子

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sayusha.com

 

フェミニズム的教科書として話題になった本書。

ソルニットが書いた著作を、そうと知らず、最近出た重要な作品として、

ソルニット自身にとある男が話しかけた、というエピソードはあまりにも有名です。

著者の意図していなかったそうですが、"Mansplaining(マンスプレイニング)"という

言葉が生まれたのも本書がきっかけです。

 

読んでよかったか、と聞かれれば、もちろん読んでよかったですが、

読みやすかったか、と聞かれると、決して二つ返事でそうだ、とは言えません。

エッセイ集であることは随所から読み取れるのですが、主として米国での事件や、

世界情勢や経済、文学、アート等に造詣が深ければ、より読みやすいけれども、

何より、「言葉」の意味に広がりと深さがあり、簡単に読み進められるとは言い難い。

エッセイというには、少し難しいよ~と、泣き言を言いそうになりながらも、

あの「マンスプ」の語源となった作品なので、読まないわけにはいきません。

ですが、自身の知識の不足と、思慮の浅さに、嫌でも気づかされてしまいました。

アンテナが全く張れていないな、勉強が全く足りないな、と少ししゅんとしました。

あと何度か読み返さないと、ちゃんとは理解できない内容が多かったように

思えます。

 

 

さて、少なくとも私にはレベルの高かった本書ですが、心に残った一部があるので

紹介しようと思います。

「6  ウルフの闇  説明しがたいものを受けれいること」という章の中のものです。

またも芸がない私は、その一部をそのまま引用します。

 

「往々にして自分のことすらよくわからないぐらいだから、現代とは性質もそれがどう反映されるかも違う時代に死んだ誰かがどう感じるかなんて、もってのほかだろう。空白を埋めることは、完全に分かっているわけでは無いという事実を、知っているといういつわりの感覚によって置き換えることなのだ。」

 

ソンタグもまた、洪水のようにあふれるイメージを浴びて理解していると思いこみ、苦痛に対して無感覚になってしまうのではなく、闇や未知のものや知ることの不可能性を受け入れるべきだと訴えている。知識は感覚を目覚めさせもするが、同時に麻痺させることもある。だが彼女は、その矛盾が解消できるとは思わないようだ。ソンタグは私たちが戦争の惨事を写した写真を眺め続けることを容認する。写し出された対象の経験は知りえないものだと、見る者に認識させる。そして著者自身も認識しているのだ。完全に理解はできなくても、関心を持つことはありえると。」

 

ヴァージニア・ウルフという英国のモダニズム文学作家の言葉や著述を、

スーザン・ソンタグという米国の作家やその他作家などの引用を元に、ウルフの言葉を

逡巡している内容となっています。(いずれの作家もいつか必ず読まなければ...!!)

フェミニズムよりも、自己探求、アイデンティティについての思索が語られています。

 無知の知、とよく言いますが、それすらも少しチープでイージーな言葉に感じられて

しまうほど、知識、感覚、感情の関連性が如実に語られていると思いませんか。

 

私は、何でもかんでもすぐに言語化しようとしてしまいます。

たとえば、これを書いている今の今、最近、私生活で起こったとある出来事にとても

傷ついていて落ち込んでいるのですが、なぜ私自身が傷つき、落ち込んでいるのか、

その感情の起因となった状況や人々の言動や感情についても、その前後の時の流れも

含めて想像し、それを全て言葉で解釈して自分に落とし込もうとします。

ひょっとしたら、相手だって何か私から不快な想いをしたから、私が傷つくようなこと

になったのかもしれないのに、自分にとって適当な解答を探そうとする。

相手が私の何かが原因で不快で苦痛な想いをしているかもしれない、という事実にまた

私は傷つく。

本当にそんな想いをしているのかもわからない、相手の傷や不快感、それだけでなく

感情なんて、想像でしかない、それが限界なのに、それを言語化して、自分なりの解を

見つけ出して納得して、わかったつもりになっていく。

本当の本当には、その人の気持ちはわからないのに。

私のこの苦痛ですら、私自身は本当の意味でわかっているかわからないのに。

 

本章の特に引用した部分で語られていたのは、

わからないことをわからない、と認めることの重要性

それでもわからないことに対して関心を持ち続けることを諦めないこと

なのだと思います。

これはフェミニズムにも言えることで、女性が強いられてきた苦痛は、男性には

わからないでしょうし、その逆も然りです。

わかった気にならないこと、わからないからといって放棄するのではなく、その苦痛や

傷を認識して、なるべくなら関心を持っていくこと。

性別ジェンダー問わず、いかなる人も、他者に対してそうあっていくのが理想的で、

それがフェミニズムであろう、と説かれていたのが本章なのかと推察します。

 

 

本作自体を読んでいくのは易しくはありませんでしたが、本作で語られている内容は、

とても人々に優しいものだったと思います。

目の前にいる人を、勝手に解釈して勝手な説明書きを自分の中で作らず、敬意を以て

接することの重要性を改めて教えてもらいました。

そして、その反対をされることの心の傷も、本作を読んだ直後に、実生活で学ぶことが

あり、良くも悪くも、本作の素晴らしさが裏打ちされた気がしています。