Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 18th Book> 第七官界彷徨

最近、眠りが浅く、いやに早起きなのは、加齢なのかストレスなのか。。。

前者だと思っていたのですが、後者の可能性を指摘されて、もやついています。 

 

第七官界彷徨」(河出文庫 著:尾崎 翠

 

f:id:kanaebookjournal:20200611231623j:plain

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309409719/

 

1930年代に発表された恋愛小説です。

主人公は町子という少女。彼女の視線で物語は進んでいきます。

町子は、人の第六感さえ超えた、第七官に響くような詩を書こうと願っている。

でも、町子自身も、第七官が何なのかはわからない。

それを探し決めるところから始めようとしています。

そんな赤い縮れ毛を持つ町子は、兄の一助、二助、従妹の三五郎が暮らす家で

炊事係として生活することになります。

分裂心理学を臨床し患者に片恋する一助、片恋破れ蘚(コケ)の恋愛の研究に取り組む

二助、音楽学校の受験に失敗しているのにも関わらず散財しコミックオペラばかりで

勉強が捗らない三五郎。

各人が片恋をし、何かしらに没頭し、巻き込まれる町子は常にめそめそしています。

4人とも、常にとても真剣なんだけど、彼らの行動や発言は、思わずフッと顔が

ほころんでしまうような、とぼけた感じ、コミカルさがある作品です。

世界観がとても素敵なんです。

話は淡々と流れていくのだけれど、各人が自分の心や気持ちに正直で、ひたむきに

向き合う姿が、なんとなく愛しく胸に染みるんですよね。 

この作品自体が、人間の第七官に響くような感じなのかしら、と少し感じました。

何か事件が起こるわけでもないのだけれど、日々の生活の中の見過ごしがちな

小さな小さな出来事を、見過ごさないで生活している4人のお話。

その小さな小さな出来事によって右往左往する自分の心も、各人誰もないがしろに

しないんです。

 

わたし、全然大切にできていない。大切にしてこなかった。

日々の生活に追われて、自分の感情を押し殺して、それに向き合うことって、

慣れちゃえばむしろそのほうが楽なんですよね。

二助の肥やしの臭いがひどくて寝られないからと言って、すぐ予備校を休んで

しまったり、気分がむしゃくしゃすると余計な使わない物を買ってしまう三五郎

みたいに生活することって、きっと二度とできないかもしれない。

私は、毎朝、可能な限り早起きをして、ジムでウォーキングをして、シャワーを浴び、

会社へ行くか家でパソコンを開き、お昼まで仕事をする。

仕事は暇な時もそうじゃない時もあって、それ次第で考え事をしたりしなかったり。

午後も同様に時間を過ごし、業後は夕飯の準備をし、バスタブにお湯を張る。

夕飯を食べたり、いくつか家事をこなしながら、お風呂に浸かり、寝る。

ルーティーン化されるようになってきてしまいました。

楽は楽なんだけれど、なんだか自分の一日なのに、自分の一日じゃないような

気分になることありませんか?

生産性とか、効率とか、健康的な生活とか、世に言う充実した生活とか、そういう

ことを求めすぎている気がしてならないことがあります。

たしかに、COVID-19で生活や仕事の様式も変わってきたはずなのに、それでもまだ

何かに追われて生活しているような気がすることがある。

機械的に1日1日を過ごすって、楽なんだけれど、自分に正直じゃない過ごし方のように

思えてしまいます。

町子のように、新しい髪形が気に入らなくて哀愁とともに目覚めたとしても、

私はなんとか起き出して、パソコンを起動させるんです。

一助のように、臨床の治療法が見つけられない(恋が成就しそうにない)からといって

Outlookを開くしかないんです。

サラリーマンだからね。

私は、私である前に、サラリーマンになってしまったのでしょうか。

いえいえ、そんなの糞くらえです。

自由に責任はつきものだ、と言いますし本当にその通りだと思いますがが、

私はなんだか、責任と呼ばれている実態のわからないものに追われている気分になる

ことが、サラリーマンをしているとよくあります。

そして、周りのみんなもそういうように見えてしまって、時々、私たちは皆、

何かに侵されているのではないかと思って、得も言われぬ恐怖を味わうことが

あります。

自分を大切にするって、実はとても難しい。

ひょっとしたら、自分を大切にしようとするその感覚が、第七官なのかしら。

でも、そうだとしたら、それはそれで、なんだかとても哀しいですよね。

 

「好き」とか「嫌い」という感覚を大事にすることが第七官かしら。

「好き」や「嫌い」に素直になることも簡単ではない。

それに対して他人が、余計なお世話ながら、評価をつけることが多いから。

そしてその評価を知らず知らずのうちに自分のうちに取り込んでしまったりするから。

読書を好きである自分は、周りから知的な印象を持たれるかもしれない。

野菜はそんなに好きではないけれど、健康面では食べたほうがいいし、ヘルシーな

印象を与えるから、仕方なく食べておこう。

本当の自分の「好き」が、周りの意見でなんとなく「嫌い」になったり、

「嫌い」なものが、義務感とかそんなもので「好き」だと思い込もうとしたり。

本当は、「好き」も「嫌い」も、とっても単純で自分らしい感情や感覚であるはず

なのに、雑念が邪魔をして、結局それに素直でいられないことが多くなってしまう。

「好き」「嫌い」と「良い」「悪い」が、知らぬ間に混同されてしまって、その

混同具合が深まれば深まるほど、そのの仕分け作業が煩雑になって、どんどん

自分の本当の「好き」「嫌い」がわからなくなっていってしまいます。

 

そんなことを、本書を読んでいて考えていました。

だって、登場人物みんな、邪気が無いのだもの。

小さな出来事ひとつひとつを、まともに取り合って、真摯に対応するのだもの。

「ていねいな暮らし」的なことが、ブームになったけれど、こだわった食器を使う

とか、物を捨てるとか、そういう表層的なものではなくて、最終的にそこへ行きつく

にしても、本当に丁寧な生活って、自分に素直になることなんだろうな。

自分の気持ちや感情に響いて届いたものに対して、敏感であること、そして、

自分がした反応に対して、促進的ではあっても、批判的ではなく、受容的であること。

それが現代人に足りない、”丁寧さ”なんじゃないかな。

私も全然ない。

生活を、私自身を見直していかないといけませんね。

日々に忙殺されるのではなく、私と丁寧に歩んでいきたいものです。