Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 34th & 35th Book> 授乳 & マウス

本年の読書活動の調子はイマイチの滑り出しです。

 個人的には絶望を感じざるを得ない二作品でした。

 

「授乳」「マウス」(講談社文庫著:村田 沙耶香

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 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205352

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000184375

 

初めて読んだ作品は、おそらく彼女の最新作の「丸の内魔法少女ミラクリーナ」

村田氏の発想と、描写に衝撃を受けたものでした。

今回、この二冊、短編集の「授乳」と長編の「マウス」を読んでの感想は、

THE現代文学

娯楽というよりは、村田氏の作品は、文学的小説であるように感じました。

彼女の描写を頭の中で想像すると、何とも言えない、気持ち悪い気分になるような、

それでいて頭の奥が快感で僅かに麻痺するような。

人物描写がとても曖昧で、感覚的で、アーティスティックでありながら、情景描写が

緻密だから、その場面が目の前にあるかのように浮かびます。

登場人物の多くが、自分の世界観を強く持っており、そこに住まおうとしたりしている

ので、浮世離れしたような、ちょっとinsaneな感じの人が多いのですが、その各人に

根付いた強固な価値観が、とても魅惑的なのです。

 

「授乳」の解説に瀧井朝世氏も書いていましたが、村田氏の作品には、ことごとく

女性性を排除しているものが多いようです。

「丸の内魔法少女ミラクリーナ」の各作品も、男性性、女性性をトピックとして、

それを否定しているものもあり、感激したものでした。

私がフェミニストである、そうありたいと思いながらも、日々悶々と心のうちに

抱える葛藤は、ぜひ読んでほしいと押しまくった「男尊女子」でも書きましたが、

村田氏の作品は、性別を超越するものが多く、私が抱える葛藤があほらしく思える

ほど痛快だったりします。

自分の母親を嫌悪し、母性を全否定する「授乳」、恋愛感情も、性的魅力も対人間に

ならない小学生と大学生を描いた「コイビト」、くるみ割り人形のマリーになりきって

現実世界を生きる瀬里奈と、現実世界での”無難”を演じきる律の友情を描く「マウス」

いずれも女性が主人公でありながら、決して現代をとりまく構造に媚びない、それに

飲まれない。

各人とも、冷静に現代の状況を観察した上で全否定するか、現実を見ることすらせず

逃避するかのいずれかの選択を取っているのです。

私が未だに克服することのできない葛藤は、あほらしいかもしれないけれど、真っ当だ

とも実感させられます。

ここまで拒絶するか、逃避するかをしないと、女性として生まれてしまった私は、

「女性性」から解き放たれることはないのか、と。

全否定するか、狂気の中で生きるか、いずれかの道しか、私が単なる”女性”から解放

され、”人間”として生きていくことはできないのか、と。

常々私が思っている、「私は女性である前に人間だ」という方程式は、実は全く

解もなければ、前提が誤っているのではなかろうか、と。

”女性”と”人間”は、現在我々の生きる現実世界では、構造的にもはやパラレルワールド

に住まう別々の存在なのか、とさえ思えて、若干の絶望すら感じてしまいました。

ジェンダーロールが、もはや宇宙人と地球人並みに異なる人種を作ってしまっている

のではないか、と非常に危惧していますし、そのジェンダーロールにうまくはまれない

私は、あほらしくもあり、不器用でもあり、そして正しい危機感も持っており、

正直、本二作品を読んで、とても混乱しましたし、心がかき乱されました。

それでも、現代社会に生きる私は、自らがほんの僅か持ち合わせる女性性でなんとか

やりくりして、現実に迎合しようとしているんです。

 

現状況を否定して生きることもできない、変えていくパワーもない、だからといって

迎合もうまくしきることができない。

そんな現実を本書を読んで突き付けられた気がして、学びがあったとともに、

小さな絶望が心を満たしていったような気がします。