Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 2nd Book> 三つ編み

新年最初の本となりました。

 

「三つ編み」(早川書房) 著:レティシア・コロンバニ

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最近は、フェミニズム小説と謳われているものに傾倒して読んでいる気がします。

だからといって、考えさせられることはいつも、女性性や男性性にこだわったもの

ではないのですが。

 

「髪」が、インド、イタリア、そしてカナダの信念を持つ女性たちを交差させます。

くじけたくなるような状況に追い込まれても、くじけない強い女性たちです。

 

思い出したエピソードがあります。

 

高校在学中、10カ月ほど、アメリカシカゴ郊外に留学していた頃。

あれはもう、帰国する一ヶ月くらい前だったかと思います。
当時、付き合っていたようなそうじゃないようなヒスパニック系の男の子に、
ティーンエイジャーの集会に誘われました。
帰国近くなって慣れてきたとはいえ、内向的な性格な私は、参加を迷いました。
が、彼と過ごせる時間も残り少ないこともあり、友達も紹介するから心細くないだろう
という彼の強い誘いもあって、参加することにしたのです。
今思うと、邪な気持ちですよね。
そのお友達の名はミシェルというのがわかって決めたのだから。
 
主催側の彼は、忙しかったろうにも関わらず、なるべく一緒にいてくれました。
送りに来てくれた、ホストマザーも会開始前まで一緒にいてくれました。
本当は彼とミシェルが本当はどんな関係だったのだろう、なんて心配しながら
私は待っていました。
「なんて綺麗な女の子!」というのが、扉を抜けて来た彼女の最初の印象でした。
背は高くないけれど、ほっそりしていて、健康的で、ヒスパニックらしい、
綺麗な小麦色の肌で。
大きくて少しつり目がちな目に、スッと通った鼻に、ぽってりした口角の上がった唇。
黒くて艶やかな長い髪にはハイライトが入っていて、これほどまでにハーフアップが
似合う女の子はいないと思えました。
ホストマザーと私は、挨拶した途端に、「素敵な髪ね!」と彼女に言いました。 
ちょっとした嫉妬心と、英語ネイティヴ者と話す後ろめたさと(これは未だに
持ち続けています)、人見知りの不安と。
そんなものがごちゃ混ぜの、雑念まみれで彼女と会いました。
 
話し始めると、中身もとっても素敵な人だということがわかりました。
ほんの少し話しただけで、わかるくらい。
彼女には人を安心させて、笑顔にさせるオーラがあった。
予想通り、ミシェルは、彼と付き合ったこともありました。
今はいい友達なのよ、と笑って言う彼女の笑顔は本当に綺麗でした。
それに嫉妬心を抱くことは疎か、最初に抱いた嫉妬心や邪な気持ちが、何より
恥ずかしくなりました。
私の不安や後ろめたさも感じ取ってくれたのか、気が合うという感覚とはまた違う、
でも私は彼女に出会えて良かったとほんの短い時間で思いました。
同世代に、こんなにも素敵な女の子がいるものなのかと、惚れ惚れしたものです。
 
午後のプログラムになって、彼も壇上でのスピーチで笑いを誘ったりしていたけれど、
ミシェルもその後、
「ちょっと行ってくるわね、彼に頼まれて、私も実はスピーカーなの」
と笑いながら壇上に向かって行きました。
そんなこと言っていなかったのに、一体どんなお話かしら、彼女のことだからきっと、面白い素晴らしいスピーチをするんだろうな、なんて胸に期待ふくらませていた。
 
大勢の前で、彼女は自分が白血病であることを発表しました。
最初はお母さまがなったそうです。
悲しみに打ちひしがれた彼女は、代われるものなら代わるから、お母さんを治して、
と神様に何度もお願いしたそうです。
奇跡的にお母さまは回復した。
でもお願いしたらお願いしたとおりのまま、今度は自分が発病した。
一度は化学療法で治ったけれど、また再発してしまった。
いつも「なぜ私なの?」を問いかけてばかりいた、と。
神への信仰が薄らいだことも少なからずある、と彼女は告白しました。
でも自分が神に選ばれたことを考えれば、私には乗り越えられると神が思ったから、
だから私は乗り越えられるように頑張ることに決めたと、彼女は宣言しました。
余命は短いらしいけど、また奇跡が起こるかもしれないから、って。
生きることは楽しいこと、幸せなことだって、すごく綺麗な笑顔で語っていました。
「素敵な髪ね!」って私が言った、フェイクの髪の毛を揺らしながら。
たくさんのウィッグを持っていて毎日付け替えるのも楽しいわよ、なんて
冗談まで言いながら。
 
私は、ショックすぎて、言葉が出ませんでした。
ただ泣くしかできなくて、彼女が戻ってきても、ただただ涙が溢れて何も
言うことができませんでした。
だって、とっても元気そうに見えるのだもの。
彼女の存在はとってもリアルだし、とても大きいし、重病を抱えているようには
まるで見えなかった。
 
戻ってきて泣いている私を見て、彼女は「大丈夫よ」と笑いながら、そして少しだけ
泣きながらハグをしてくれました。
私はもう本当に嗚咽が出るほど泣きじゃくってしまいました。
その「大丈夫よ」は誰に言ったの?
何度、誰に言われたの?
何度自分へ言ったの...?
「大丈夫よ」の優しさの大きさに耐えられませんでした。
 その後、私はその優しさを受け止め切る器もなく、泣き止むこともできず、
すぐ会場を後にしてしまいました。
 ミシェルと会ったのは、あれが最初で最後です。
 
 
インドで、不可触民という身分に押し込まれまい、と旅するスミタ。
イタリアで、父の会社を再起しようと奮闘するジュリア。
カナダで、シングルマザーであり、キャリア弁護士であり、癌患者であるサラ。
そしてアメリカで、神と、そして自分を信じ続け、若くして寛大なミシェル。
 
彼女たちは各人が、人生において大きな決断をし、行動に移しました。
男性が、というよりは、社会が、世の中の構造が、彼女たちに決断を迫りました。
ただ状況に流されることもできたのに。
 
私は幸せな人生を歩んでいます。
日々の小さな不満や不安はあれど、今のところ不自由は全くありません。
不可触民でもなければ、背負う会社や家族もなければ、築き上げたキャリアと病の間で
思い悩むこともありません。
ウィッグの髪への褒め言葉に、笑顔で「ありがとう」とだけ言うこともありません。
彼女たちのように、何かに奮闘することなく、のんびり生きています。
信念が無くても生きていくことができます。状況に流されることができます。
それが魅力的であるかは別として。
 
奮闘しなければいけないとも、状況に流されることが悪いことであるとも思いません。
彼女たちのように、強い闘う女性になれるかはわかりません。
憧れはするけれど、ちょっと私じゃないのかもしれない。
が、奮闘するということも、状況に流されるということも、自分でした決断故で
ありたいものです。
彼女たちのように。