Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 20th Book> その手をにぎりたい

淡々と1週間を終えること、それが最近の目標です。

 

「その手をにぎりたい」(小学館文庫著:柚木 麻子

 

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https://www.shogakukan.co.jp/books/09406399

 

以前、「BUTTER」を読んでから、手に取るようになった柚木氏の本。

あの後も何冊か読んだのですが、感想文を書くには至りませんでした。

が!!!

これは 「BUTTER」を超えて、心にじーんと響きました。

ある意味、これは純愛物語ではないかしら。

ラブストーリーはあまり得意ではないけれど、本作は心に染みる展開でした。

昭和30年代生まれの青子が主人公。まさに私の両親世代です。

バブル前後の東京が舞台です。

かんぴょう農家を営む実家を出て、大学を卒業し、東京でOLをしていた青子は、

東京生活を満喫し、とうとう実家へ戻ることを決意します。

その送別会との名目で上司に連れられて行った、予約を取るのも難しい、銀座に位置

する超高級鮨屋「すし静」での出会いをきっかけに、東京に残ることにします。

バブル期で乗りに乗った不動産業へ転職も果たし、座るだけで三万円、そんな鮨屋

常連になることを決意して。

職人の手から自分の手に直接受け取って、口に運ぶ鮨の味、そしてそれを握る職人の

虜になったのでした。

店の職人である一ノ瀬へは恋心を抱きつつ、職人と常連として、少し歯がゆくもある

信頼関係も築かれていきます。

地上げまがいのことをしている会社に疑念と葛藤を抱きつつも順調に昇進を重ね部下を

持つようになったり、一ノ瀬への想いを秘めながら恋人や遊び相手がいたり、美食を

極めていったり、と華やかな東京を満喫しつつ、その異様に熱を持った街に翻弄されて

いきます。

自分の仕事がどれだけ他人に対し理不尽で乱暴になり得ても、「すし静」へ通うことが

青子の東京での生活の心の拠り所でもあり、また心が揺れ動く理由でもあった。

サブタイトルが、青子が「すし静」で食べたネタと、その年月日で構成されており、

そのネタに因んだストーリーが、彼女の25歳からの10年弱にわたって描かれています。

 

柚木氏は、やはり食べ物は言うまでもなく、その時の街の雰囲気、色、空気などの

情景描写がとても秀逸で、その表現がまた何とも素敵だと思います。

雨が降る前の空気を、「重さを持って柔らかくまるく膨らんでいる」なんて、

ああ、私にはとてもできる表現ではない。

だけど、そういう情景描写があるからこそ、その時々の各登場人物の人間性や言動が

引き立つものです。

「BUTTER」を読んだときには、各人物の、人物描写に感激しましたし、本作でも

各人が発する言葉に深くうなずいたり、ハッとさせられることもありましたが、

それらが映えるのは、そういった情景描写があったからなのでしょう。

あと、こんなに日本に未練の無い私でも(祖母が私のことを忘れる前に、そして喪服を

着なければならなくなる前に彼女に会うことくらいしか、帰国の目的を見出せない)

東京が恋しくなる感じがありました。

30年前の東京はまだまだ開発中で、人々の間に流れるふわふわした妙に熱い熱気とかも

含めて、きっと今の東京とは全く違ったのだろうけれど、ハリボテのバンコクから、

洗練された東京に想いを馳せさせる、少しセンチメンタルな気分にもさせてくれるの

でした。

 

フィクションとはいえ、そしてその時代に生まれただけで、実際にはその豪華絢爛さを

目の当たりにしていない私にとっても、とてもリアルにバブル期を体感できる感じが

しました。

ちゃんと作者が調査されたのでしょうね、なんだかとても現実味があるように読めた。

青子はちょうど私の母と似たような年齢の設定です。

彼女の周りに出てくる男性陣は、今となっては「セクハラ!!」と言われるような

言動が多く見られます。

それでも、男女雇用機会均等法が施工されようとしていた、施工されて間もない、

そんな時代にですら、青子のように、バリバリとキャリアを積み、ひとりで高級鮨屋

常連となるような女性が多くはなくとも、少数でもいたのでしょうね。

さすがにこの30年で、そのようなあからさまなセクハラ的な言動は徐々に聞こえなく

なってきていますが、それでも日々、男性優位社会であることを思い知らされることは

多く、男女問わずその意識が根底に根付いてしまっていることにうなだれる。

そんな高級鮨屋の常連になり得る女性の数は増えてきたかもしれないけれど、

結局、今だって、

「ひとりで銀座の高級鮨屋によく行くんです」

というようなことを女性が言ったとしたら、

「へえ、女性なのにすごいねえ」

(女性のくせによく行くねえ or  女性なのに本当によく稼いで頑張っている)

というような反応が返ってきても当然として受け止めてしまいそうなものです。

違いますよね。

そんな高級鮨店に自分で稼いだお金で自分へのご褒美として通っていることは

素晴らしい(もしくは鼻につく)ことなのかもしれないけれど、そこに男女差って

関係なくないですか?

でもそう言われても仕方がない構造になってしまっている。

結局、未だに男女間での賃金格差があるような国ですから。

適材適所の人事ではなく、新規開拓営業は男性、営業アシスタントは女性、という

ジェンダーロールで役職を当てるのがメインストリームになってしまっているような

風土ですから。

(これは会社の愚痴です。笑 頑張って女性営業や駐在等は増やそうとしているよう

ですが、まあ男女同等人数にはならないし、アシスタント業務部署に男性がいるかと

いえば、ほとんどいません。)

バリキャリを目指したいか、と聞かれれば、私個人的には全くそうではありません。

が、私がひとりで銀座の高級鮨屋に通おうと思ったら、結局はプライベートはわき目も

ふらず仕事一辺倒のバリキャリになるか、パパ活をして女性性を売り込むか、の

二者択一しか未だにないのではないか、と思われるほどに、30年経っても、

日本の女性の社会進出度合いが変わっていないように思われて、打ちひしがれる。

ジェンダーロールにおける女性のライフプランが提示される仕組みになっている

社会だから、私はその2~3個しかない選択肢の中からどれにするか選択しないと

いけないような気分にさせられるわけです。

高級鮨屋に通わないまでも、自分ひとりで生きていくことになるのだとすれば、

「男に負けない!」「仕事命!」マインドでキャリアを邁進していくしかないのでは

ないか。

その選択肢から外れると生活に困るし、保障を受けられない可能性が大いにあるから。 

そう思うと、なんだか絶望的な気分にもなります。

男女問わず働き方の多様性も少ないな、って。

(そもそも日本ではあらゆる多様性が少ない、育たない!!という心の叫びもある。)

 私、これからどうなるのかわからないのに生きていけるかな、って。

今の環境は比較的とても恵まれているけれど、今後も自分の足で立って、それでも

私らしく生きていくことができるかな、って。

生きていくことはできたとしても、私らしい生き方を模索する余地は生まれないのでは

ないのかな、って。

不安になります。

だって、自分の足で立てない人は見捨てられる社会のように見えてしまったのだもの、

今回のコロナ騒動で。

私らしさとか何とか言わずに、自立しないといけない。

自立と私らしさは両立困難、そんな風に今回、見えてしまったのです。

バブルがはじけてこの30年、何も変わっていない、ということを思い知らされた本作

でした。 

 

同伴の客とよく来店しているホステスのミキと居合わせることがある青子は、

男に媚びて香水の香りを鮨屋で振りまく彼女を面白く思っていませんでした。

それでもあるとき、迷惑な客に絡まれているミキを助けた際に、ちょっとした

口論になります。

そのときミキが言うのです。

青子は女くさいミキのことが目障りかもしれないけれど、青子だって女であることを

利用して鮨屋に来ている、他の常連客や職人が青子を丁寧に扱うのは、所詮は彼らが

小娘である青子の成長を見られると思って優位に立つ、支配欲を味わえるからだ、と

きつい言葉を放ちます。

マンスプレイニング、ってやつですね。

それを男性たちが青子に対してできるから、そして青子も無意識的にそれをわかって

いながらあえて鮨屋に行っているんだろう、ということを指摘されます。

痛いですね。

結局は三十路になった今でも、怠慢で楽な道を選びがちな私は、自分が「小娘」扱いを

受けることを許し、むしろそういられる環境を選びやすい節があります。

「小娘」として可愛がられやすいところで、実際に、偉い、頑張ってるね、とチヤホヤ

されて、まんざらでもない気持ちになろうとしていることが多いし、そうしてほしい。

年上だろうと年下だろうと、結局は、男性の自尊心を傷つけまい、多少世間知らずの

ふりをしておこう(実際に世間知らずであることは否定できませんが)、そうでなく

とも、ちょっと猫なで声にしておこう、みたいなね、無意識的に身体と口がそういう

対応をするようになっているんですよね。

結局、私もすでに私らしさを手放して、ジェンダーロールに阿って、生きやすいように

自立が少しでも促進されるようにしているんです、既に。

それを何の苦も無くできる人たちからは、それでも私はできていない、充分に

していない、と言われ、私は猫なで声を出してしまう度に、あとから後悔する。

不器用ですので、日々そういったことに葛藤している次第です。笑

 

 

私も今の時代、ゆとり世代にしては、結構バブリーな感覚を持っているようです。

欲しいものは深く考えずに買う、着ない服や使わない靴鞄は増えていく、

少し高くても美味しいものが食べたい、値段を見ずにメニューを決める。

渡馬前に、営業担当だったお客さんとの会食後、二次会は銀座のとある高級ブランド

バーで、今度はそのお客さんがご馳走してくれたのですが。

そのバーでは、ボトルを入れれば、席のチャージも無いので、夕食後にちょっと

1、2杯ひとりで飲みに行ったり、友人と行ったり、それが毎回一銭も払わず可能

なのだ、と教えてもらいました。

もちろんちゃんとしたバーなので、おつまみも素敵なものが提供されます。

3万円程度のボトルを一本入れれば、しばらく楽しめる。

なんと、ボトルのの期限も無期限だそうですので、最高の条件です。

次回は私がひとりで来て、ボトルを入れようと思ったときに、マレーシア行きが

決まりましたので、果たせずじまいでしたが。。。

ですが、KLで今は一番人気ではないのでしょうか、のルーフトップバーで、

私のお気に入りのジンのボトルを入れて、積年の(というほど年月は経っていません

でしたが)想いをマレーシアで果たせて、少し心がスッとしたし、大人になったなあ

と思えた瞬間でした。

 

本当は、もっと、青子と一ノ瀬のプラトニックな恋について書きたかったのにな。笑

なんだか本当に素敵な、憧れるような恋だな、って思ったから。

でもやっぱり、それは本作を読んでもらった方がいいのかもしれない。

 

青子と共感できる点は多かったし、本当、超高級鮨屋の常連にはなってみたい。

ああ、ほんっっっとに美味しいお鮨が食べたい。

私も職人さんの手から、直接手で受け取って、口の中にその優しい握りのシャリと

クリーミーなハマチを口の中に入れたい。

車エビでもいいな。