Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 52.5th Book (番外編)> 痩せてる女以外生きてる価値ないと思ってた。

番外編です。珍しく漫画です。

 

「痩せてる女以外生きてる価値ないと思ってた。」  

ぶんか社著:ざくざくろ

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www.bunkasha.co.jp

 

SNSで見つけて、思わず衝動買いしてみたら、漫画でした。

 

 

私は過食嘔吐はなかったし、ADHDでもないけれど...

でも人生で”やせ型”はおろか、”普通体型”ですら経験したことがない私は、

この著者の経験談、すごくデジャヴなところあります。

 

 

もちろん、本人のメタ認知能力含め、自己肯定感とかセルフコンパッションとか

そういう問題もあることは否定できません。

でも、私も海外生活で、結果的に、何気に相当なキロ数の減量となりました。

(とはいえ、全くもって”やせ型”ではないし、”普通体型”より太いはず。)

自分自身が前より体が軽くて心地いいから、今をキープするか、

今よりもう少し減量してもいいかな、という感じですが、それでも周囲の反応、

特に男性の反応は、明らかに違うのは感じる。

 

 

痩せたらモテるし、人生変わる!!

みたいなテレビ番組とかCMとか、昔からあるし、ああいう番組を見た後

「明日から私、絶対ダイエットがんばる。だって意外に簡単そうだし、

きっと気付いたら痩せているはず♪」

って決意して、結局やらないでいたんだけど、ある程度痩せてみて

気付いたことがある。

別に、太っていた時も、それはそれで私は自分に満足していたんですよね。

自分の見た目以外のところにある程度は価値を既に見出していたし、

(少なくとも、そうしようとしていたし)

見た目よりも、外見以外の自分らしさのほうが、私にとっては、

ずっとずっと大事で、自分の根幹でした。今もそうです。

 

 

だけど、やっぱり異性関係になると、なぜか、見た目が最重要事項になる。

もう三十路も過ぎましたし、もうそういう段階は超えたかな、とも思うけど

色々なトラウマを乗り越えられた、というほど、私の傷も浅くない。

今でこそ、自分の見た目はそれなりに好きになって(好きではなくても)

こんなもんか、という気持ちでいられるようになりました。

それは、今より少し太っていた時も、それより多少痩せた今でも、です。

だけど、学生の頃、若い間はあまりに自分の外見にコンプレックスが強くて、

(見た目ありきの)恋愛をするなんて、恐れ多すぎて、

「デブスな私から好きになられる人は、かわいそう。私に恋愛する価値はない」

と本気で思っていました。

恋愛以外のことでは、経験を積み重ねて、少しずつ培っていた自信も、

片や異性関係や恋愛のことになると、ネガティブドリルで穴掘ったら

ブラジルまで届いちゃうんじゃないかレベルで自信が無かった。

 

 

まだ外見に関しての考察は、自己分析中なのですが、やはり結構、

他者からの批判というのが、自身のトラウマになっている気がします。

私自身は、他人が太ろうが痩せようがどうでもいいし、気付かないこともある。

気付いても言わないようにしていますしね。

他人の外見はどうでもいいけど、自分の外見には時にすごく拘泥するんです。

自分が自分で「太っていて可愛くない」と実感して、問題意識を

持つことよりも、

他人の言葉、言動で「お前は太っているし可愛くない」と想起されて、

さらに言えば指摘されていると感じることのほうが明らかに多かった。

小さい頃からの親族の、身内だからこその無神経な言葉。

思春期ならではの、冷笑じみたコメントや、聞こえよがしの悪口。

「ああ、私は太っているんだ。可愛くないんだ。

それは受け入れられないこと、いけないことなんだ」

と、刷り込みが、日々、何重にも為されていきました。

(若さが寄与していたのは大きいけど)当時は健康体だったのに。

 

 

それなりに自分に満足していたのに、

満足させまいと、強い力で引っ張られていたように感じるんですよね。

 

 

外見以外では、自分なりに成長を実感できて、自信を構築していったのに、

片や外見や、それが大きく寄与する事象となると、自信喪失もいいところ、

卑屈になって、その事象自体を無視する始末。

落差が激しすぎて、未だにそのギャップを埋めるのが大変です。

ただ、外見以外の部分で身に付けた自信とプライドが、

私に外見の自虐をさせなかったことだけは、まだよかったのかもしれません。

 

 

だから、前回の作品でも似たようなことを書きましたが、

ルッキズムに加担しない

それには常に神経をはらうようにしています。

すっごく難しいのだけど。

だって、日系企業のサラリーマンやっていたらさ、ホモソ文化にも

それなりに精通していないと、やりにくいわけだし。

でも、そんな文化が無くたって、やりやすい会社、社会であるべきです。

思わず(大体が褒め言葉として捉えられるものでも)他人の体型や見た目に

対して、言及してしまったときは、苦虫を嚙み潰したような気分になったり、

もしくは「今、自分から外見について言い出されたけど、それに対して

私のコメントは適切?」とか、自問自答が頭の中で鳴りやまない。

そもそも、私が他人と関わる上で、もしくは、他人と親しくなっていく中で、

外見をそこまで重視しないので、パッと見て気付きにくいのは幸いですが。

日々、葛藤だらけです。

(外見に関するジャッジと、自分の感情的な好みはまた別ですしね...)

本当難しいぃ...

けど、声に出さない、言葉に出さない、がマナーなのだろうと、心に刻んで

日々練習していくしかありませんね。

 

 

もう私みたいないびつな人間とか、ざくざくろ氏のように心身削りまくる

人生を送る人とか、そんな必要ないなら、その選択をしないで済む人生を

人々(特に私より若い世代)には送ってほしいじゃないですか。

世の中、外見よりも大事なことは山ほどあるし、それに囚われる必要がない、

と実感できることで、すごく人生が楽になり得たりすると思うのです。

こんなことを思う必要すらない社会が早く来るよう、願ってやみません。