Kanae's Book Journal Occasionally with Movies

読書感想文とときどき映画。

<The 59th Book>ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生

著者は、女性サラリーマン。アラサーで同世代。

ツイッターでは追っていた笛美さん著書、ようやく読了しました。

 

「ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生亜紀書房著:笛美

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www.akishobo.com

 

笛美さんは、おそらく30代半ばくらいの、大手広告代理店勤務の女性。

受験戦争を勝ち抜き、地方から出て、優秀な大学に入学、

卒業後は大手広告代理店にて、”クリエイティブ”という花形部署にて

幾度か賞も取り、まさしく、いわゆるバリキャリ女性です。

女性である笛美さんが、男性社会においてすらの”勝ち組”として

広告業界という、いかにも華やかな業界にいるからこそ日々体験する、

男性社会、もとい、おじさん社会の数々の兆候。

ここまでのキャリアを築くのに、笛美さんはその数々の矛盾に違和感を

感じながらも、その疑念を打ち消しつつ、土日祝日、深夜残業問わず、

身を粉にして働き、と同時に愛され女子、モテ女子を目指し婚活に励みます。

それでも自らのハイスペックさがそ恋愛も婚活をも邪魔をする

がむしゃらに努力をしてきたのにも関わらず、それが仇となって、

女性として価値のない存在、すなわち社会から認められない存在

なってしまった。

生きていてごめんなさい。

とまで思うようになった、と。

そんなとき、会社経由でF国へのインターンの話が決まり、

追って「#検察庁法改正に抗議します」ハッシュタグのムーブメントを

引き起こし、フェミニストでありながらサラリーマンである、という

”笛美”の誕生のきっかけとなります。

コロナについてや、それがきっかけでの政治、行政に対して、

彼女の活動のことも語られている2021年8月初版ののエッセイ作品です。

 

 

広告業界のことはわからない。

私がサラリーマンとして働いている業界は、広告業界のように

"コミュ力が高めで最低限の清潔感はあり、中にはとびきりのイケメンやお洒落さん"

は決して多くない泥臭い業界です。

正直、笛美さんの勤めているような、大手広告企業とは仕事上も

直接的に取引きや縁はないであろうと思っているくらい、遠い世界。

(実際は知らないけど、たぶん本当にないと思う。笑)

それでも、同じ女性で大手企業勤務というだけで、

日々の生活で、女性だからこそ感じる、違和感や苦悩

でも、それは自分の能力不足。努力で克服すべき。頑張る!

うまく対応している、結果を残しているという自負。

というループに幾度となくハマってしまう状況、共感ばかりです。

未だにずっと、この無限ループに悩まされている。

 

 

私も、会社を牛耳る、男性という所属の人々から、認められたかった。

自分が見た目も性格も、「可愛らしい」「美しい」要員ではないことは

自明でした。

しかし、いずれ、そういったルックス含む”女性らしい”要素は、

それ自体も、そこにおける評価も、経年劣化することも、知っていた。

その代わり、(今となってはお恥ずかしい限りですが)実能力部分で、

ポテンシャルの高さに自負がありました。

体育会系気質が根強く蔓延る企業なのに、全くアンチ体育会系な自分が

どこまで試せるか、能力で評価されるか、試したくもありました。

媚びられない、おべっかひとつの言い方もわからず、

すごく尖っていた若手社員だったけれど、単刀直入で裏表のない態度が、

意外と付き合いやすいヤツとして受け入れられていったのかと思います。

そう思っていました。

でも、思い返してみると、実際は媚びていたのかもしれない。

学生の頃は、フットワークが重くて苦笑されていたこともあったのに、

残業続きで疲れていても、飲みに誘われたら基本的に断らない。

飲み会の場では、”デキる後輩(あわよくば女)”として、さりげない

気遣いは欠かさない。

振られた下ネタは笑って乗る、それどころか自ら振る。

”(男性陣にとって)一緒に働きやすい人”として評価されるように、

ホモソ社会に自ら迎合して、振舞っていたのかもしれない。

お蔭様で、男性の先輩方からは大変可愛がって頂いたと思っています。

相手を傷つけないようにしたい、それでも自分の意志や意見を、

なるべく明確に伝えたい、というモチベーションでの言葉選びから、

相手を気持ちよくさせる言葉選びをいつの間にか体得し、ある時、

当時、お世話になっていた先輩から、「飲み会上手」とまで言われました。

その評価は、言われてから5年以上経った今でも、未だに自分の中で

複雑な感情として、消化できずにくすぶっています。

「飲み会上手」になれるほど、私はこの男性社会に馴染むことができた!

出不精のデブス女からしたら、立派なAchievementよ!

と思う反面、

この見た目でこの性格だと、「飲み会上手」でないと、仕事面で

評価されないかもしれない(女性の)自分って何...

男女問わず”一緒に働きやすい人”は「飲み会上手」でないといけないのか?

とモヤつく。

そうこうしているうちに、マレーシアへの研修を言い渡され、追って

バンコクへ異動し、海外生活も3年以上経過しました。

会社の多様性アピールとして、女なら誰でもいいから、海外赴任を

言い渡したのだ、と瞬時に思ったことは、以前も書いたかもしれません。

海外勤務は望んでいたことでしたので、win-winでしたが、適任者とされた

理由は、能力ではなくより、性別からかもしれない、という邪推が未だに

拭いきれません。

そんな邪推をしなくて良い会社、社会となることを願ってやみません。

 

 

話はそれるのですが、お恥ずかしながら、今更、初めて人気ドラマ

「Friends」を今、一気観しています。

www.imdb.com

1994年から2004年のロングランでしたが、ドラマ最終話も、

もう20年近く前の放映。

今の人種やジェンダーなどの感覚にそぐわない部分ももちろんあります。

そもそもメインキャストが全員、白人なのも違和感しかないし、

LGBTQへの嘲笑であったり、ルッキズムを助長する描き方も多い。

それでも1990-2000年代の時点で、同性愛や同性婚トランスジェンダー

カジュアルなセックスや男女の交際を公言できること、

シングルペアレントとなることを自ら選択すること、そういった在り方が

存在することを、当然として描いていること自体が、もう既に衝撃で、

泣きたいくらいに羨ましい事実でした。

以前も何度か書いているかもしれませんが、いま、

仮に予期せぬ妊娠をしたら、駐在員かつシングルマザーとなる選択を

する余地は残されているのか、

とよく考えます。

そもそも日本でも、シングルマザーの待遇は良い話を聞きません。

社会的サポートが圧倒的に足りない、という話はよく目耳にします。

妊娠出産には現時点で意欲的ではありませんが、仮に予期せぬ妊娠をしたら、

私には多くの選択肢が残されているだろうか。

私は、自らの意思で、出産するかしないかを決め、周囲は、社会は、

私のその意思を尊重してくれるだろうか。

それに対して2022年を生きる私が出す答えと、「フレンズ」で描かれた

30年前の米国(ニューヨーク)の状況が既にかけ離れすぎていて、

私は涙が出そうになるほど、悲観したくなってしまうのです。

 

 

そこで悲観するだけでなく、実際に動き出したのが笛美さん。

国会中継を観ることから始め、デモに勇気を出して参加したり、

ツイッターで今の政治や社会へ疑問を投げかけたり、声を上げて、

周囲を巻き込んで、多くの人にとってのより良い社会を、日々考え、

それに向けて行動しています。

巻末にも、「声を上げてみたくなったら」の行動事例をたくさん

挙げてくれていました。

私と同じサラリーマンなのに。

私と非常に似た立場の著者が、ここまでやっているのに、自分が何も

できておらず、自分を責めてしまったことも、読み進めるのに時間がかかった

一因ではあります。

でも、こうして、フェミニズムについての著作を読んできながら

学んでいること、日々その思想を蓄積していっていることで、

”自分自身を変え”ようとしている。

それが、本エッセイの教えてくれたことのひとつでもありました。